駅の案内にもある通り、このあたりはまさに古墳の密集地。古墳時代前期後葉から中期初葉の古墳が集中している地域です。
今回は佐紀古墳群の中でも西群を訪ねました。
この日は、見学者もお迎えしてにぎやかに出発。
しかし暑い!
駅からまず北へ。
近鉄の踏切を渡り、つきあたりの八幡宮を左方向に。山裾をぐるっと進むと右手にスロープ。それをのぼると五社神古墳の拝所があります。
墳長267mはまさに森。このあと東側にまわりますが、後円部の北にも森が続き、より一層大きく見えます。
何を見てるのかな?
さわやかに見えていますが、かなりの蒸し暑さでした。しばらく民家のあいだを歩き、佐紀石塚山古墳へむかいます。
途中こんもりとした陪塚がいくつか確認できます。
みんな茹っている⁉️
佐紀石塚山古墳の渡土堤です。後円部の濠の一部が土手になっていて古墳とつながっています。柵が設けられていて、中にはもちろん入ることはできません。
佐紀石塚山古墳の拝所。なんだか五社神古墳と似てる?
この木立は佐紀石塚山古墳の南に隣接している佐紀高塚古墳です。
少し戻って佐紀石塚山古墳の西南。
佐紀御陵山古墳でひとやすみ。
途中、地元に住むメンバーがこの竹藪の向こうにかつて勢力を誇っていた超昇寺関係のお城があり、薬研堀のあとがあると教えてくれました。
こちらの方がわかるかな。
先生の話をきいているこのあたりも猫塚古墳、衛門戸丸塚古墳、瓢箪山古墳に囲まれた場所です。
向こうに猫塚古墳。
瓢箪山古墳の墳丘へは衛門戸丸塚古墳とのあいだの通路を西に進むとのぼることができます。
瓢箪山古墳を左に見ながら北方向へ進みます。
奈良時代にはこのあたりに松林苑という苑地が作られ、離宮、庭園、倉庫などがあり、天皇の臨席する宴もしばしば催されました。その周囲にめぐらせた築地塀の跡がちょうどこの道に沿っているとのことです。
なにを話していたのかな?思い出せません。
自分が思っている以上に暑さにやられていたようです。
奈良時代の瓦⁉️
このへんも松林苑?
向こうにみえている緑が塩塚古墳。松林苑では古墳も利用され、墳丘や周濠を活かしつつ施設が作られていたと考えられています。
墳丘に月見台などがあったとか?
オセ山古墳です。以前地元のメンバーに案内してもらいました。
この奥のみどりのなかに横穴墓があるとのこと。また涼しくなったら、ぜひ見学したいものです。
添御縣坐神社(歌姫神社)に立ち寄りました。
由緒ある神社で奈良に6つある添御縣神社のひとつです。
この日はここで解散。歩いて最寄りの駅に向かうひと、バス利用のひと。
わたしは歩いて帰宅しました。
思ってたより疲労していたようです。
みんな大丈夫だったかな。
誰かに笑われるかもしれないけど、来年は7月例会先生に講義をお願いしようかな。
おつかれさまでした。