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「考古学サークルなら」は専門家の案内、解説のもと

奈良や近隣の史跡を巡る歴史好きのサークルです。

メンバーは現在13人(令和元年5月現在)平均年齢はやや高めです。

誰もが知っているあの古墳、誰も知らないレアな遺跡など、

先生の詳しい説明とともにウォーキングでまわります。

歴史ある奈良、大和を身近に感じられることに感謝しながら、

月に一回、まったり活動中です。

最寄り駅集合解散で公共交通機関を利用しつつ

基本的には徒歩で散策します。

健康作りも兼ねて地元の歴史に触れてみませんか?

 

活動

月1回(第1金曜日)

正午集合(最寄り駅に集合、解散)15:30くらいまで

会費

1500円/月

半期分または1年分をまとめて納入

 

指導 服部伊久男先生(郡山史学会 代表)

 

「考古学サークルなら」は2018年まで奈良婦人会館によって開かれていた文化講座「やさしく学ぶ大和の考古学」を前身とするサークルです。泉森皎先生、中井一夫先生らが講師を歴任され、20年余り続いてきた伝統ある講座の流れをくみ、2019年4月から現在の形で活動をスタートしました。 もっと詳しく知りたい、参加ご希望の方はお気軽に下記までご連絡ください。

okakat54@gmail.com



【活動日誌】大和古墳群を歩く

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f:id:narakofu:20240407105421j:imageいよいよ新年度のスタートです。

今年も服部先生選りすぐりのコースが揃いました。

先生の解説とともにまた新たな視点で迫っていきます。

とても楽しみな一年となりそうです。

f:id:narakofu:20240407105451j:image4月例会はJR長柄駅に集合して、大和古墳群を巡ります。ホームの東側では桜が満開。

f:id:narakofu:20240407105514j:imageまず大和神社に向かいます。

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f:id:narakofu:20240407105617j:imageこれは…たしか…?

何でしたか?古墳?

f:id:narakofu:20240407105629j:image大和神社境内。

神社の名前にちなんで、戦艦大和関連の展示室もあります。

f:id:narakofu:20240407113342j:image神社境内に位置する星塚古墳。

前方後方墳とされていますが、木が茂っていて全容はよくわかりません。

長方形の台上に方墳を南北につないだような墳形をしているとか。

f:id:narakofu:20240407113400j:image続いて馬口山古墳へ。

大和神社の表参道の鳥居は古代の直線道路である上ッ道に開いていて、日本書紀にも記事があり、この道が飛鳥時代には存在していたようです。

この道に沿って馬口山古墳があります。

f:id:narakofu:20240407113416j:image古墳の中を横切ります。道がありますので。

f:id:narakofu:20240407113431j:image上って下りると民家が迫っていて、雰囲気が一変。

f:id:narakofu:20240407113449j:image年月を感じる説明板。

この古墳からは特殊器台形土器や特殊壺形土器が採集されていて、古墳時代前期前半の可能性が指摘されています。

f:id:narakofu:20240407113504j:image上ッ道を北に少し歩きます。

f:id:narakofu:20240407113512j:imageマバカ古墳。

今回はスルー。先に進みます。

f:id:narakofu:20240407113524j:imageもう少し北へ。

f:id:narakofu:20240407113540j:imageノムギ古墳。

こちらは前方後方墳。後方部東側周濠から古墳時代前期初頭に遡る土器群が出土。

説明板を見ながら先生の解説を聞きました。

f:id:narakofu:20240407113553j:image道をはさんで東にヒエ塚古墳。

前期初頭の築造かとも言われているそうな。

とにかく、古くて前方後方墳が多い大和古墳群。

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f:id:narakofu:20240407113630j:image古墳のくびれ部を農道が通っています。農道の両脇はこんな感じ。

古墳の上を普通に通ります。

f:id:narakofu:20240407113856j:image前方部と後円部のあいだを通り抜けます。

f:id:narakofu:20240407113907j:image古墳を真っ二つ?

f:id:narakofu:20240407113920j:image向こうに見えるのは波多子塚古墳。

特殊器台形埴輪や朝顔形埴輪など初期埴輪も出土しており、4世紀前半の築造とも考えられています。これも前方後方墳

f:id:narakofu:20240407113935j:imageこちらは西山塚古墳。

前期古墳が大半を占める大和古墳群の中で唯一の後期の大型前方後円墳とされています。地主の方が以前テレビの番組に出演されてたなあ。

f:id:narakofu:20240407113950j:imageたわわに実る、八朔でしょうか。道すがら無人販売所にも柑橘類が売られていました。

f:id:narakofu:20240407114006j:imageさあ、次のポイントへ。

ここでショートコース組と分かれました。

f:id:narakofu:20240407114021j:image北側からみた西殿塚古墳

f:id:narakofu:20240407114033j:imageくるりとまわって、東殿塚古墳へ。

こちらまで来たのは初めてです(ならこふ)

f:id:narakofu:20240407114048j:image2つの殿塚古墳の間の道。道を尋ねられて、メンバーは親切に教えていました。頼りになります。

f:id:narakofu:20240407114056j:image西殿塚古墳の説明板。

こちらの古墳は大和古墳群中最大の規模を持つ「大王墓クラス」。

後円部および前方部の墳頂には方形壇が存在し、それは桜井茶臼山古墳メスリ山古墳にも確認されています。方形壇については昨年訪れた心合寺山古墳でも勉強しました。

f:id:narakofu:20240407114108j:imageこのあたりはきれいに手入れされた果樹園が広がっています。柿が多いようです。

古墳が築かれたころはどんな景色だったのでしょうね。

この果樹園の間を通る細い道を抜けると右手(北側)に燈籠山古墳があります。現在は後円部は果樹園、前方部は墓地となっていますが、円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片また埴質枕なども出土してなにやら興味深い古墳です。

その墓地の南側に中山大塚古墳がありますが、残念。写真を撮り忘れました。

f:id:narakofu:20240407114125j:image分かれた人たちと合流。

大和神社のお旅所があります。

先ほど歩いてきた、東殿塚古墳、西殿塚古墳、燈籠山古墳そして中山大塚古墳と同一尾根上に連続して立地。中山支群と呼ばれる一群です。

 

f:id:narakofu:20240407114142j:imageここで、先生による問題タイム。

みんな頭をひねって、うーん。

なかなか先生の期待に応えられません。

f:id:narakofu:20240407114201j:image下池山古墳。

前方部を南に向けた前方後方墳で、長大な竪穴式石室が築かれ割竹形木棺が安置されていたとか。やはり古墳時代前期前半とみられています。

f:id:narakofu:20240407114211j:image前方部後方部ともあまり変わらない高さです。

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f:id:narakofu:20240407105403j:image最後にもう一度大和神社を通って長柄駅に戻りました。

 

帰宅後周辺の地図を改めて見返すと、このあたり古墳のなんと多いこと!

古墳時代前期初頭〜前期前半のさまざまな階層の古墳が集中的、継続的に造られました。前方後方墳が6基含まれている点は奈良盆地のほかの前期古墳群には見られないとのことです。

右を見ても左を向いても古墳。

これはまた出向くしかないでしょう。

 

 

 

 

 

【活動日誌】橿原西部の遺跡をめぐる

f:id:narakofu:20240310210232j:image今月は岡寺駅に集合して橿原西部の遺跡を巡ります。

岡寺駅といっても岡寺までは少し距離があります。

f:id:narakofu:20240310210246j:image始めに服部先生から古墳の石室内見学についてのお話があり、みんな大喜び。

橿原市の担当の方が普段施錠されている鍵を開けに来てくださるとのことで、まず沼山古墳に向かいました。

途中、牟佐坐神社(むさにいますじんじゃ)に立ち寄りました。

 

f:id:narakofu:20240310210301j:imageこの神社は「延喜式神名帳高市郡の「牟佐坐神社」とされ、かの壬申の乱にまつわる生霊神を祀った社と伝わります。

f:id:narakofu:20240310210312j:image沼山古墳まで少し急ぎ足。

高取川がすぐ向かいで直角に曲がっています。

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f:id:narakofu:20240310210337j:imageもうすぐ沼山古墳の案内板。たしか初めて。

f:id:narakofu:20240310210358j:image少し階段を上ります。

f:id:narakofu:20240310210421j:image馬酔木が咲いていました。

春はそこまで来ています。

 

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f:id:narakofu:20240310211101j:imageまず先生からこの古墳について解説。

 

f:id:narakofu:20240310211050j:imageそして中へ。

天井が高い。

f:id:narakofu:20240310211155j:image土師器、須恵器などの土器類のほか、金銅製馬具、銀製空玉、トンボ玉などの出土から6世紀後半の築造とみられていて、

・石を7〜8段積み上げて途中から持ち送られ天井は小さくなるドーム型。

・玄室平面が正方形に近い。

ミニチュア炊飯具などの渡来系氏族の古墳に特徴的な副葬品が出土。

などから、真弓鑵子塚古墳、乾城古墳、与楽鑵子塚古墳などとともに渡来系の人々の墳墓と思われます。

f:id:narakofu:20240310211038j:imageみっちり積まれた石、天井までの美しいフォルム。

築造に関わった人たちのきっちりした仕事ぶりがうかがえます。

 

f:id:narakofu:20240310211024j:image墳丘にものぼってみました。

f:id:narakofu:20240310211013j:image続いて益田岩船へ。

その前にトイレ休憩。

きれいなトイレで気持ちよく使わせていただきました。

f:id:narakofu:20240310211003j:image足もとに…

f:id:narakofu:20240310210948j:imageまた少し上りますよ。目指すはこの山の中に!

f:id:narakofu:20240310210941j:imageどーん。

初めて見たときは本当に驚きました。

なにこれ?という感じです。

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f:id:narakofu:20240310210918j:imageこの格子状の溝はこのあと、いくつかのプロセスを経て表面を平らにする加工過程途中らしく、解説を聞くとなるほどとうなずけます。

f:id:narakofu:20240310210908j:image松本清張の「火の路」でたしか登場人物がこの辺りでお弁当を食べたくだりがあったと思いますが、もう一度読む気力体力はもはや無い。

f:id:narakofu:20240310210855j:imageとにかく大きい。

この巨石をどこかへ移動するにはこれまた驚くほどの技術、労力が必要です。となるとやはりここで作業をし、ここに設置する予定だった?

いや、もしかして、昔の人たちにとってなんともない作業だったの?まさか。

f:id:narakofu:20240310210841j:imageほど近くの牽牛子塚古墳の石室と似ていますが、そちらは凝灰岩製。この益田岩船は花崗岩で加工が難しいぶん、完成したらさぞかしすばらしく施主様は喜ばれたでしょう。

f:id:narakofu:20240310210831j:image危ないので、登ってはいけません。

f:id:narakofu:20240310210824j:imageそして、小谷古墳へ。

こちらも先ほどの市の方が鍵を開けて待っていてくださいました。

f:id:narakofu:20240310210812j:imageからっとしたものです。

コウモリは見当たりません。

 

f:id:narakofu:20240310210804j:imageなかにはりっぱな石棺が。

いわゆる縄掛突起はなく、いたってシンプル。しかしくり抜かれた棺は眠る人物が持っていた力を物語っています。

f:id:narakofu:20240310210752j:image天井石はなんと一石。

天井石の縁は10cm強の幅できれいに整えられていました。

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f:id:narakofu:20240310210730j:image壁はご覧のように三角の石をはめ込み、こだわりの凝ったつくり。

f:id:narakofu:20240310210721j:imageあちこちには古墳が作られた当時からあるらしい漆喰が。

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f:id:narakofu:20240310210700j:imageどっしりした、美しい石棺。どんな人物が眠っていたのでしょう。

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f:id:narakofu:20240310210618j:image石室の開口部付近の石。

これも古墳の一部?

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f:id:narakofu:20240310210557j:imageしばし先生の解説を聞きます。

f:id:narakofu:20240310210551j:image次のポイントへ。

f:id:narakofu:20240310210544j:image近鉄特急「青の交響曲」がちょうどやってきました。

橿原神宮前駅近く。

f:id:narakofu:20240310210538j:image土筆も元気いっぱい。

f:id:narakofu:20240310210533j:imageこのあたりは軽寺があったといわれています。

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f:id:narakofu:20240310210518j:image向こうに植山古墳が見えています。

f:id:narakofu:20240310210510j:image孝元天皇 剣池島上陵(こうげんてんのう つるぎのいけのしまのえのみささぎ)

f:id:narakofu:20240310210503j:image石川池

 日本書紀によると、この池は応神天皇の時に築造された剣池とされ、また1つの茎に2つのハスの花が咲いて蘇我氏繁栄のしるしと喜んだと伝わっています。

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f:id:narakofu:20240310210449j:imageあたりはしんとしていました。

f:id:narakofu:20240310210442j:image石川廃寺跡

今はこれという遺跡は見ることはできません。

ただきれいな梅の花が満開でした。

 

今回はいつにも増して充実した時間となりました。

先生の手配で思いがけない石室内見学もあり、メンバー全員感激の半日をすごしました。

来月から、新しい年度が始まります。

服部先生セレクトのコースも決定しました。

新年度も元気でメンバー一緒に勉強したいと思っています。

よろしくお願いします。

【活動日誌】葛城山麓の遺跡

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f:id:narakofu:20240205111931j:image雨の心配もなく2月例会スタートです。

集合は忍海(おしみ)駅。

大好きな近鉄御所線

葛城山がどっしり見守ってくれてます。

f:id:narakofu:20240205111953j:imageまずは「角刺神社」(つぬさしじんじゃ)

古事記日本書紀にも記述がある、億計(おけ)王・弘計(おけ)王のお姉さん飯豊青命がご祭神です。

字は違うけど、同じ名前ってややこしいなあ。

f:id:narakofu:20240205112044j:imageさて、次はどこへ?

山の方に向かっていますよ。

f:id:narakofu:20240205112112j:imageはるか向こうに金剛山。雪が見えています。

f:id:narakofu:20240205112643j:image石光山古墳群

f:id:narakofu:20240205112929j:imageこの巨石は一見古墳のようですが、違います。

f:id:narakofu:20240205112943j:imageまるで鬼の俎?

これも古墳には関係ありません。

くさびの跡がくっきり。

このほかにも周辺に巨石が多く見られました。

f:id:narakofu:20240205112957j:image巨石をあとにして、南側に下ると…

f:id:narakofu:20240205113023j:image横穴式石室の入り口が見えました。

f:id:narakofu:20240205113115j:image内部はそんなに広くなく、小ぶりな石をみっちり積んでいます。

f:id:narakofu:20240205113144j:image住宅との境。

ここまで調査が済んでいるとのこと。

f:id:narakofu:20240205113211j:image地光寺跡。

みんなの背後に建っているのは脇田神社。

この境内付近が地光寺東遺跡で、塔心礎が残っています。

f:id:narakofu:20240205113244j:image地光寺東遺跡の東塔心礎。

なかなかの大きさ。

f:id:narakofu:20240205113325j:imageこの農地内に東遺跡西塔の心礎が残されているそうですが、私有地にて入ることはできません。

f:id:narakofu:20240205113338j:image地光寺西遺跡。

この遺跡からは凝灰岩の地覆石の遺構が発見され、鬼面文軒丸瓦なと゛特色ある瓦や鉄滓などが出土し、忍海氏の氏寺と考えられていますが、渡来系氏族の展開も問題となってきているようです。さて。

f:id:narakofu:20240205113353j:image地光寺西遺跡からさらに西に進みますと、笛吹神社。

昨今話題のマンガがこちらの神社とどうとからしいのですが、全く知らないのでサッパリ。ごめんなさい。

f:id:narakofu:20240205113438j:image神社内の林では天然記念物のイチイガシが良好な状態。

f:id:narakofu:20240205113626j:imageクラシックな大砲。日露戦争の戦利品とか。

f:id:narakofu:20240205113640j:image笛吹神社を中心に75基ほどの古墳があったという笛吹古墳群。

その後工事などにより40基ほど破壊されたとのこと。

神社の境内にも開口している片袖式石室があり、家形石棺が残っているそうですが、近くまで行くことはできません。

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f:id:narakofu:20240205113726j:image笛吹神社のお手洗いはとてもきれい。気持ちよく使わせていただきました。

f:id:narakofu:20240205113749j:imageさあ、がんばってもう少し。

f:id:narakofu:20240205113821j:imageここからも金剛山が見えてます。

f:id:narakofu:20240205113832j:image火振山古墳。

5世紀中葉の前方後円墳で、採集された円筒埴輪の特徴から近くの屋敷山古墳に先行するとみられています。

「火振り」という名称はやはり狼煙がここからあげられていたからかな。

f:id:narakofu:20240205113846j:image蝋梅があちこちで私たちを迎えてくれました。

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f:id:narakofu:20240205113910j:image屋敷山古墳へ向かいます。

f:id:narakofu:20240205113932j:image屋敷山古墳のある公園内には出土した竪穴式石室の天井石が置かれていて見学できます。

実際には何枚存在したのかわかっていないようですが、とにかくビッグサイズです。

f:id:narakofu:20240205113944j:image屋敷山公園から葛城山をのぞむ。

f:id:narakofu:20240205113957j:image屋敷山古墳の墳丘には中世には布施氏の城館、江戸時代には新庄藩桑山氏の陣屋が築かれていました。そこから屋敷山と呼ばれたそうです。

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f:id:narakofu:20240205114040j:imageさあ、もう少しです。ガンバレ!

f:id:narakofu:20240205114050j:image最後のポイント、北花内大塚古墳。

調査により出土したコウヤマキ製笠型木製品や円筒埴輪、形象埴輪などから

本日最初に訪れた角刺神社に祀られている飯豊王女の「飯豊天皇埴口丘陵」として管理されています。

f:id:narakofu:20240205114106j:image実によく歩きました。帰宅後歩数はなんと2万歩超え!

今回も充実したひとときを過ごしました。

しっかり復習しないと。

f:id:narakofu:20240207191826j:imageしっかり読んでおけば良かった。

どんどん惹かれる葛城です。

 

 

【活動日誌】初瀬街道を行く!

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f:id:narakofu:20240119150746j:image新年あけましておめでとうございます。

今年は大和朝倉駅からスタート!

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f:id:narakofu:20240119150726j:image途中(竿というらしい)が抜けている常夜燈。

なんとなくユーモラス。

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f:id:narakofu:20240119150659j:image三叉路になった道。

私たちはさてどちらへ?

f:id:narakofu:20240119150651j:image2つに折れている、慈恩寺の道標。

「ひだり よしのかうや道/右ハミわ奈らミち」とあります。

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f:id:narakofu:20240119150631j:imageカルガモのヒナたちは今日も熱心です。

f:id:narakofu:20240119150617j:image玉列神社(たまつらじんじゃ)

境内には椿の木が多く、いわれなどもあるようです。

花々をよく知るメンバーから、金魚椿なるものを教えてもらいました。

とてもかわいい葉ですが、咲く花はさて。

東隣には玉列神社の神宮寺だったといわれる「阿弥陀堂」があります。

f:id:narakofu:20240119150609j:image樹齢400年といわれるけやきの巨木。

f:id:narakofu:20240119150558j:imageこれが金魚椿。葉の先が金魚の尾のようになっています。

f:id:narakofu:20240119150544j:imageこのあたりがいわゆる脇本遺跡です。

f:id:narakofu:20240119150530j:imageこのフェンスの向こうから壕状遺構が出土した?

ともかくわたしたちが今立って、先生の説明をきいているところこそが、『古事記』や『日本書紀』に語られる泊瀬朝倉宮かも?

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f:id:narakofu:20240119150511j:image各々、頭の中に当時の姿を思い浮かべているのか?

f:id:narakofu:20240119150456j:image春日神社。

しめ縄がユニーク。

矢のようなものが3本立てられその下にてるてる坊主を思わせるものが付けられています。意味ありげ。

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f:id:narakofu:20240119150431j:image朝倉小学校と春日神社の間を行く道。

この道もまたどこかにつながっていて、昔の人々が歩いたことでしょう。

f:id:narakofu:20240120122614j:image白山神社

 

f:id:narakofu:20240119150421j:imageまた165号線を歩きます。

この道はかつて軽便鉄道長谷線が通っていて、その遺構と思わせるレンガのなにかが。

f:id:narakofu:20240119150409j:image流れ地蔵が安置されているお堂。

どこからどうして流れてきたの?

文化8年の大洪水で、なんと長谷寺の前から流れてきたとのこと。

腰から下は土に埋もれています。

f:id:narakofu:20240119150400j:image十二柱神社。

神世七代の神、地神五代の神を祭神としているそうです。

f:id:narakofu:20240119150350j:image野見宿禰にゆかりある神社。

石燈籠の屋根?の部分が珍しい切妻?

狛犬の台座を筋肉隆々とした力士が踏ん張っています。

f:id:narakofu:20240119150341j:imageなんともかわいらしいおすもうさん。

f:id:narakofu:20240119150327j:image初瀬観光センターでいったん解散。

バスで桜井へ戻るメンバーを見送り、長谷寺方面へ。

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f:id:narakofu:20240119150308j:image伊勢辻の道標。

ここを右に曲がると下化粧坂

長谷寺に参拝するのに汗を拭いたり、汚れを落としたりしたそうな。今日はそちらにはまいりません。

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f:id:narakofu:20240119150249j:image初瀬川を渡り、與喜天満神社へ。

f:id:narakofu:20240119150242j:image向こうに長谷寺が見えます。

なんども訪れたお寺ですが、この方向から見るのは初めて。

f:id:narakofu:20240119150232j:image與喜天満神社まではけっこう階段を上ります。途中の案内板を見ながら、先生の説明。

f:id:narakofu:20240119150219j:image化粧坂の案内板。

化粧坂へは與喜天満宮へ上る階段を右に進みます。伊勢からの道でやはりこのあたりで身だしなみを整えたようです。

f:id:narakofu:20240119150209j:imageこの道標は下に置かれていたのをここに移動されました。

なので、行き先が違っているらしい。

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f:id:narakofu:20240119150145j:imageみんなが立っているこの広場みたいなところはかつて長谷寺のトップお坊さんが引退してから暮らした建物があったとか。とても景色の良いところです。さてもう少しがんばります。

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f:id:narakofu:20240119150102j:image與喜天満神社到着。

後ろの森は與喜山暖帯林として国指定天然記念物です。

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f:id:narakofu:20240119150032j:imageくだりは神社から右の方に降りていきます。上りの階段よりすこし楽でしょうか。

途中にあった玉鬘神社。『源氏物語』の「玉鬘」はこの地が舞台とか。もう一度しっかり読みます。「あさきゆめみし」で。

平日なのに参拝者も多く、人気のスポットでありました。

初瀬街道。伊勢本街道。

昔の人が通った道。そしてずっと昔天皇の宮があったとされる土地。

何百年も時代を超えてなにかと重要な役割を果たしてきたところ。

長谷寺もさることながら、それを囲むいろいろなポイントを押さえにまた足を運ぶつもりです。

 

 

今年もありがとう。

今年も多くの遺跡、古墳を巡りました。

服部先生の毎月のコースは実に多岐にわたっていて毎回とてもワクワクします。

いつも手元に来月の資料が届くとしっかり予習!と思うのに気がつけば当日。

 

それこそ新鮮な気持ちで臨む次第です。

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f:id:narakofu:20231229221410j:image来年1月の資料

来年こそはもう少し予習を進めて、当日をもっと掘り下げたものにしたいものです。

f:id:narakofu:20231229221332j:image地図とか

カルガモのヒナのようなわたしたちは、服部先生が開いてくれる歴史の扉の向こうへ、目を輝かせて先生の背中を追いながら進みます。

そこには、足を踏み入れたが最後もう抜け出せない、知りたくて仕方がない世界、たとえば開口部がようやく入ることができる横穴式石室などが待ってます。

ぜひ行って見てみたいと思われましたら、いつでも連絡ください。

 

会員のみなさま、年内に資料が届くと思います。

1月は初瀬街道。

楽しみです。

では良いお年を。

 

 

【活動日誌】八尾の遺跡を歩く

f:id:narakofu:20231213205347j:image風もなく絶好の遺跡巡り日和。

今月は奈良を飛び出し、お隣大阪府は八尾市に出かけました。

f:id:narakofu:20231213205404j:imageまずは「心合寺山古墳」しおんじやま なかなか読めないです。

そばにある「八尾市立しおんじやま古墳学習館」へ向かいました。

心合寺山古墳について学びます。

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f:id:narakofu:20231213205454j:imageこの古墳の後円部には3つの木の棺が確認されたそうで、そのうちの一つの模型が展示されています。とても長い棺です。

3人はどんな関係なのかな。

副葬品が種類を分けて入れてありました。

f:id:narakofu:20231213205509j:image学習館をあとにいよいよ古墳へ。

f:id:narakofu:20231213205524j:image古墳の表面は葺石がふかれていますが、この石たち、ただ並べられているわけではないとのこと。よく見ると、石の形をうまく使ってラインのように縦に並べ区画を作り、その間を充填しています。

f:id:narakofu:20231213205538j:image造り出し部分で先生から説明を受けてます。案内板もありました。

この造り出しの裾から、水の祭祀場を表した埴輪 とよばれる祭殿を模した家と柵が一体となった埴輪が出土しました。

f:id:narakofu:20231213205552j:image墳頂部に上りましょう。

f:id:narakofu:20231213205606j:image埴輪が並んでいるのが見えますね。パンフレットによると、心合寺山古墳にはなんと3000本以上の円筒埴輪が並べられ、いろいろな種類の形象埴輪がこれまた100個以上並べられていました。

これらの埴輪にはこの古墳の被葬者を守り、古墳を立派に見せる役割りがありました。

f:id:narakofu:20231213205622j:imageあれ?

みんな足取り重そう?そんなことないよ。

f:id:narakofu:20231213205633j:image後円部から前方部を望む。

f:id:narakofu:20231216142847j:image粘土槨のあった場所に実物大で表示されてます。

3本並んでいますが、やはり真ん中が1番偉い人?

それを見ながらの先生の説明。

実に長い(先生の説明がながいのではありません長いのはもちろん棺)。たしか約7mとか。

副葬品としては、武器や武具、中国製の鏡、勾玉の首飾りなどが入れられていて、被葬者の持っていた力を思い描くことができます。

f:id:narakofu:20231216143138j:image八尾の街が一望できます。

f:id:narakofu:20231213205714j:image前方部の方形壇にも木棺が埋められていました。

こちらの被葬者はさて、先ほどの3人と関係あるのでしょうか。

f:id:narakofu:20231213205725j:image圧巻の埴輪列。

f:id:narakofu:20231213205745j:image古墳を降りて次の目的地へ。

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f:id:narakofu:20231213205811j:imageマイナスイオンに満たされているかのような。

f:id:narakofu:20231213205818j:imageいきなり石室内となりました。

心合寺山古墳から生駒山の裾周辺には多くの古墳があります。

今回はその中の愛宕塚古墳を見学しました。

f:id:narakofu:20231213205829j:image6世紀後半に築かれた円墳で、横穴式石室は大阪府最大級です。

f:id:narakofu:20231213205839j:imageほとんど屈むことなく石室に入ることができます。

虫やコウモリなどの姿もなく、じっくり観察することができました。

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f:id:narakofu:20231213205858j:image足元には築造当初からの石が。

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f:id:narakofu:20231213205916j:image墳丘部。

f:id:narakofu:20231213205924j:imageこのあと、八尾市立歴史民族資料館に立ち寄り、見学しました。

f:id:narakofu:20231213205932j:image今回は生駒山を飛び越え、八尾市の遺跡を巡りました。

わたしたちの住む奈良から生駒山の向こう側へ。

難波と大和をつなぐ交通の要所として栄えた中河内

この辺りにはまだまだ古墳を含め史跡が数多くあります。少々上り坂もあったりしますが、あらためて訪れたい中河内です。

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【活動日誌】竹内峠越え周辺の古墳

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今月は予定を変更して、竹内峠越え周辺の古墳をまわりました。

f:id:narakofu:20231123210810j:image集合は近鉄大阪線磐城駅

お天気が心配でしたが、メンバーみんなの日頃の行いでしょうか、回復しましてさあ出発です。

先生の話では今日は古墳巡りだそうで、さてさてどんな古墳が待っているかな?

f:id:narakofu:20231123210759j:image竹内街道

この名前を聞くだけで、胸に響くものがあるのはわたしだけでしょうか。

手元にある竹内街道歴史読本によると、交通路としての歴史はとても古く縄文時代から人々に利用されていたと考えられるそうです。

いったい、これまでどれだけの人がこの道を歩いたのでしょう?市井の人から歴史上の人物までこの道を通りました。

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f:id:narakofu:20231123210737j:imageここから竹内街道が始まる。

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f:id:narakofu:20231123210703j:image長尾神社。

竹内街道の出発・終着点。

横大路(初瀬・伊勢街道)、下市街道、長尾街道との交差点にあり、にぎやかなちまたに位置しています。

f:id:narakofu:20231123210652j:image鳥居の両側にカエル。

向かって左手は親子。

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f:id:narakofu:20231123210609j:image道標にもよく出会いました。読めるかな?

f:id:narakofu:20231123210558j:image塚畑古墳。

f:id:narakofu:20231123210547j:image戦中・戦後の食糧増産の要求により、畑地として利用されたため、墳丘の上部は大きく削平されていますが、墳丘の周囲はカーブしている様子がみてとれます。

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f:id:narakofu:20231123210527j:image今は畑地となっていますが、このあたりも周濠だった?

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f:id:narakofu:20231123210503j:image民家の屋根から頭を出している二上山

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土地の人たちから「おいまさん」とよばれる親孝行の女性、伊麻。松尾芭蕉は門人の苗村千里を通じて伊麻当人に会ったと伝わっています。

 

f:id:narakofu:20231123210432j:image伊麻の説話に因むウナギのモチーフの腰掛け。

近くの小学校の校章はこの水瓶だとか。

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f:id:narakofu:20231123210401j:imageメンバー軽やかに進んでますよ。

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f:id:narakofu:20231123210328j:image芝塚1号墳

朝までの雨で足元がぬれていて、みんなじゅうぶん気をつけていましたが、それでも転倒されてしまいました。大したことなくてひと安心。

f:id:narakofu:20231123210311j:image墳丘に上り先生の説明を聞きます。

f:id:narakofu:20231123210301j:image向こうに2号墳。

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f:id:narakofu:20231123210243j:image2号墳の横穴式石室には基礎石を敷き詰めた玄室があり、凝灰岩製の組合せ式家形石棺と木棺が追葬されていて、多くの副葬品が納められていました。

その石棺は今は1号墳の北側に保存され見学できます。

こちらも雨のあとは特に注意が必要です。

f:id:narakofu:20231123210234j:image中央左寄りにある屋根の下に石棺。

f:id:narakofu:20231123210223j:image正面に見える住宅地に兵家古墳群が所在 と先生から聞いたような?

今日は近くまでは行きませんが、5世紀中葉から6世紀前半までお墓が作られ、いったん中断してまた7、8世紀に新たに古墳が築かれたとあります。古い古墳には豊富な副葬品が伴っていたとのことです。

f:id:narakofu:20231123210211j:imageこの先に夫婦塚古墳。

資料によると小型の方墳もしくは円墳で東西に並んで南に開口する2基の横穴式石室が構築されているとのこと。

興味深いですが、見学はまた今度。

f:id:narakofu:20231123210201j:image中央右に見えるこんもりとした緑。

塚畑古墳でしたか?

あれ?鍋塚古墳?

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f:id:narakofu:20231123210133j:image竹内街道を少し歩きました。

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f:id:narakofu:20231123210117j:image車の通りを避けて遊歩道を歩きます。

途中獣よけのフェンスの扉を開けて入りました。

あとはまた閉めておきますよ。

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f:id:narakofu:20231123210100j:image吉野建ての建物。

由緒ありげなすがた。

竹内街道歴史読本によると、築300年の氷室などをもつ格式高い旅籠であったようです。

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f:id:narakofu:20231123210033j:image竹内街道を歩き、次のポイントへ。

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f:id:narakofu:20231123205435j:image三ツ塚古墳群

竹内街道から竹内峠越えと平石峠越えの道に分かれる分岐点にこの古墳群は位置します。

三ツ塚古墳群ではさまざまな単独埋葬施設が築かれていて、まるで住宅展示場とたとえたメンバーもいました。

f:id:narakofu:20231123205411j:image階段状になっていて比較的のぼりやすい。

f:id:narakofu:20231123205402j:imageスリムなフォルムの石棺。

当時の人の体型は今より背が低くて、細かったらしい。

現代の私たちは少しつらいかな。服部先生も身長からして、無理ですね。

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f:id:narakofu:20231123205300j:image足元の小石で囲った部分はお骨などが置かれていた?

f:id:narakofu:20231123205252j:imageこじんまりした土壙墓や木棺墓、横穴式石室もありました。

石棺も置かれています。

f:id:narakofu:20231123205243j:imageすぐそばを南阪奈道路が走っています。

f:id:narakofu:20231123205237j:image出土した金銅製金具付き漆塗り革袋。

国内には例がなく、中国唐の役人で外国籍の者が身につけた品物である可能性が高いとか。

唐に渡り位階を受け、役人として活躍した人物がこの地に葬られていたのでしょうか。

復元した写真を見ると、現代でも人気がありそう。

f:id:narakofu:20231123205230j:image細い道を通り抜けると…

竹内街道

f:id:narakofu:20231123205223j:imageここでいったん解散です。

おつかれさまでした。

f:id:narakofu:20231123205109j:image余力のあるメンバーで竹内古墳群へ。

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f:id:narakofu:20231123205050j:image道路の向こうに一楽古墳がありました。今はありません。5世紀後半の築造で、四獣形鏡、須恵器杯、円筒埴輪などが出土。

竹内古墳群とやはり関係はありと推察できるようです。

f:id:narakofu:20231123204950j:imageさてのぼります。

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f:id:narakofu:20231123204933j:imageいたるところに古墳。

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f:id:narakofu:20231123204915j:imageまさに古墳巡り。

f:id:narakofu:20231123204906j:imageおりてくると、あれ?當麻寺

f:id:narakofu:20231123204859j:image相撲ファンのわたしとしては、テッポウをやってみたかった。

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f:id:narakofu:20231123204845j:imageご存知中将餅。

f:id:narakofu:20231123204837j:imageそばに竹内街道歴史読本

お世話になりました。