「考古学サークルなら」は会員募集中です

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「考古学サークルなら」は専門家の案内、解説のもと

奈良や近隣の史跡を巡る歴史好きのサークルです。

メンバーは現在13人(令和元年5月現在)平均年齢はやや高めです。

誰もが知っているあの古墳、誰も知らないレアな遺跡など、

先生の詳しい説明とともにウォーキングでまわります。

歴史ある奈良、大和を身近に感じられることに感謝しながら、

月に一回、まったり活動中です。

最寄り駅集合解散で公共交通機関を利用しつつ

基本的には徒歩で散策します。

健康作りも兼ねて地元の歴史に触れてみませんか?

 

活動

月1回(第1金曜日)

正午集合(最寄り駅に集合、解散)15:30くらいまで

会費

1500円/月

半期分または1年分をまとめて納入

 

指導 服部伊久男先生(郡山史学会 代表)

 

「考古学サークルなら」は2018年まで奈良婦人会館によって開かれていた文化講座「やさしく学ぶ大和の考古学」を前身とするサークルです。泉森皎先生、中井一夫先生らが講師を歴任され、20年余り続いてきた伝統ある講座の流れをくみ、2019年4月から現在の形で活動をスタートしました。 もっと詳しく知りたい、参加ご希望の方はお気軽に下記までご連絡ください。

okakat54@gmail.com



【活動日誌】古代寺院を追う

f:id:narakofu:20260710152713j:image7月の定例会は梅雨の晴れ間となりました。

JR櫟本駅に集合。

7,8,9月は夏時間ということで10時に集まりました。本数の多くない路線ですので、早めの到着かギリギリか。

10時少し前、参加者全員そろって、さあ出発です。

f:id:narakofu:20260710153534j:image駅から東へ。

まず高良神社。

f:id:narakofu:20260710153518j:image現在高良神社が鎮座するこの地では、出土した瓦などから白鳳時代の創建とされる長寺(おさでら)が奈良時代に栄えていて、10世紀前後頃、長寺が廃絶したあと高良神社が祀られたと考えられています。両者の接点は確認されていません。

f:id:narakofu:20260710153506j:imageまた、弥生時代の集落や古墳時代の古墳なども存在したようです。

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f:id:narakofu:20260710153314j:image柿本寺あと。

f:id:narakofu:20260710153252j:image人気のピーナツ店の南側に位置し、東大寺山丘陵の西裾にあたります。

f:id:narakofu:20260710153240j:image和爾下神社(古墳)のすぐ下に位置し、柿本寺という名前から、柿本人麻呂など柿本氏の氏寺でしょうか。瓦なども散らばり、礎石も残っていますが、詳しいことは不明とのこと。

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f:id:narakofu:20260710153151j:imageここで服部先生が、あらためて 「今日は古墳には寄らず、寺院跡を追う」と宣言。

「承知!」とわれわれ。

今回巡る天理市北部の和爾町、楢町、櫟本町は県下でもまれにみる古代寺院の集中地帯といわれ、古代の行政区画でいうところの添上郡楢中郷にあたるそうです。

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f:id:narakofu:20260710153115j:image続いての寺院は 楢池廃寺。

f:id:narakofu:20260710153105j:image今は想像するのみですが、向こうの工場?の南側にある弁財天下池の堤の改修工事の際に見つかり、礎石や瓦、磚仏、宝相華文や蓮華文を施した方形の垂木先瓦など出土しているとのことですが、伽藍配置など詳細は不明。

f:id:narakofu:20260710153054j:imageのどかな農村風景の中を次のポイントへ。

f:id:narakofu:20260710153042j:image向こうには膳部(かしわで)寺があったようです。

東大寺図書館所蔵の「虚空蔵絵図」は鎌倉時代末に製作されたもので、虚空蔵寺(弘仁寺)背後の虚空蔵山の四至、境界をあらわしたもの。それには虚空蔵山南側に「膳部寺」とあり、膳臣氏、膳朝臣氏が建立に関わっているのはまちがいないのかな。もはや「膳」「膳部」「膳朝臣」「膳臣」混同しております。

さて、この膳臣氏は7世紀末に高橋朝臣と改姓して、その本拠地がこの楢中郷と推定されているとのことです。

膳臣といえば、たしか聖徳太子の奥さまのひとりがその一族出身。というと服部先生、そのかたの舌を噛みそうな名前(膳部菩岐岐美郎女・かしわべのほききみのいらつめ)をすらすらと。

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f:id:narakofu:20260712115828j:image写真奥の方に「願興寺」

虚空蔵山の西裾です。

圃場整備に伴う事前調査で、塔基壇、築地塀、掘立柱建物、瓦窯、石組井戸などがみつかり、瓦、磚仏などが出土。

「東大寺要録」によれば別名山口寺ともいい、小野氏が天武天皇の病気平癒のために建立したと伝わります。

f:id:narakofu:20260710153020j:image写真に収めるのをうっかりしました。

この「弘仁寺」の参道は倒木がおびただしく、両脇の山道を登ることとなりました。

f:id:narakofu:20260710153011j:image弘仁寺

f:id:narakofu:20260710153000j:image「算額」が奉納されて有名な寺院でもあります。

f:id:narakofu:20260710152951j:image江戸時代以降、和算の問題やその解法を絵馬に記して神前、仏前に奉納されていました。県内で確認されている5面のうち3面が奈良市内にあり、そのうち2面がこの弘仁寺のものだそうです。

このブログをまとめるのにあたり、算額について調べたところ、貴重なものと知りました。

残念ながら、しっかり拝見することなく弘仁寺をあとにしました。後悔しています。次回から、もっと予習します。

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f:id:narakofu:20260710152929j:image川の流れでしばしの涼を感じます。

f:id:narakofu:20260710152835j:imageこの近くには「椙崎寺(すぎさきでら)」があったと伝わります。

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f:id:narakofu:20260710152855j:image予想以上の気温となりました。暑かったです。

櫟本の町に戻り、北と南に分かれてバスに乗り込み帰路につきました。

f:id:narakofu:20260710152848j:image今回訪れた楢池廃寺や長寺などからは山村廃寺式軒瓦という、奈良盆地東山麓の限られた地域で使われた特徴的な瓦が出土していて、また願興寺からは山村廃寺式の鬼板が出土しているとのこと。

その山村廃寺の建立氏族と推定されている山村日佐(をさ)氏、山村忌寸(いみき)。楢池廃寺や長寺などは奈良時代に山村郷や楢中郷に暮らしていた日佐系の渡来系氏族の氏寺と考えられているそうです。日佐は通訳の仕事をしており、いろんな分野の事情通だったのでしょう。

この寺院集中の楢中郷。当時はどんな景色だったのか、わたしにとってはミステリーです。

 

【活動日誌】田原の里とヘリポート

f:id:narakofu:20260609114552j:image6月は奈良市東南部、田原の里へ出かけました。

梅雨入りしたこともあり、くもり空の当日。ときおり細かい雨が降り、傘を開いたり閉じたりの1日となりました。

f:id:narakofu:20260609111549j:image近鉄奈良駅に集合。

今回はバスの時間の関係でいつもより早い10時10分に集まりバス停に移動。予定通り乗車し、30分ほどで田原大野に到着しました。

f:id:narakofu:20260609111535j:imageバス停近くで先生から今日の概要の説明を聞き、トイレを済ませて出発。

こちらの公衆トイレはとてもきれい。気持ちよく使わせていただきました。

中の張り紙の字もすばらしい達筆!

f:id:narakofu:20260609111520j:image元気いっぱいのサボテン。

こんにちは!

f:id:narakofu:20260609111506j:imageまず、光仁天皇陵へ。

光仁天皇は父が施基親王(天智天皇の皇子 志貴皇子)、母は紀橡姫(きのとちひめ)。皇后の聖武天皇皇女である井上内親王との間に他戸(おさべ)親王が、高野新笠(たかののにいがさ)との間に、山部親王(桓武天皇)・早良親王が生まれています。

いつの時代にもよくあることかもしれません。この天皇の周辺もいろいろな思惑が渦巻いていたようです。

また光仁天皇田原東陵の東側隣接地からは絵馬や木簡なども出土。

この地は奈良時代には天皇や高位の官人らの葬地に選ばれていますが、祭祀の場としても重要視されていました。

f:id:narakofu:20260609111453j:imageさて、いよいよ太安萬侶墓へ。

f:id:narakofu:20260609111438j:imageずいぶん急な上り坂です。ふうふう。

 

f:id:narakofu:20260609111424j:imageまだかな?

f:id:narakofu:20260609111408j:imageやっと、到着。

f:id:narakofu:20260609111321j:image教科書にも載る有名人。奈良時代の高位の官人である太安萬侶。

現存する日本最古の歴史書『古事記』の編纂者と伝わります。墓誌はその実在を雄弁に物語っていました。

安萬侶は『古事記』から文官のイメージが強いですが、墓誌の内容から武人的な経歴も積んでいたと考えられ、「武官」安萬侶の姿もありました。

f:id:narakofu:20260609111332j:image安萬侶のお墓からの眺め。田原の里が一望できます。南向きの斜面で見晴らし抜群。

f:id:narakofu:20260609111309j:imageこちらでお昼を済ませました。

f:id:narakofu:20260609111256j:image安萬侶のお墓周辺は今もお茶の木が植っています。

なだらかなスロープができるとのことですが、いつごろになるのかな。

f:id:narakofu:20260609111245j:image太安萬侶墓の下にある公衆トイレ。

こちらもきれいでした。

f:id:narakofu:20260609111234j:image山の中腹に先ほどの安萬侶墓が見えてます。…見えてます?

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f:id:narakofu:20260609111216j:image田原西陵(春日宮天皇陵)

先ほどの光仁天皇の父、万葉歌人としても有名な志貴皇子の陵として治定されています。

東西というものの、並んでいるわけではなく2kmほど離れているそうです。

f:id:narakofu:20260609111207j:image近くに歌碑もありました。万葉集の愛好者必見?

f:id:narakofu:20260609111122j:imageここで(おもむろに)奈良県ヘリポートに寄り道?見学します。

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f:id:narakofu:20260609111051j:image途中に志貴皇子(施基皇子)の歌碑。文学部出身者としてはすらすら読めたいものです。

f:id:narakofu:20260609111041j:image展望台(屋上)にいると、職員のかたがヘリコプターがまもなく着陸すると知らせてくれました。ここは危険とのことで階下で待ちます。

f:id:narakofu:20260609111033j:image赤と黄色のかわいいヘリコプター。人を降ろして飛び立って行きました。

f:id:narakofu:20260609111024j:imageあとはどんどんくだります。

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f:id:narakofu:20260609110953j:imageすばらしい景色でした。鉢伏峠?

眼下に広がっているのは、大和郡山を中心に南北に。

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f:id:narakofu:20260609110932j:image眺めを堪能中。

先生の説明付き。

f:id:narakofu:20260609102828j:image奈良市の南端までおりてきました。鹿野園(ろくやおん)町。

このあと、バスで近鉄奈良駅経由JR奈良駅へ。

今回も歴史の重要なキーワードとなるところをいくつかまわりました。

歴史好きに、そして今回は文学ファンにも人気らしい田原の里を先生や仲間と歩ける幸せをしみじみ感じるいちにちとなりました。

おつかれさま。

【番外編】集え、高取古墳の日!

f:id:narakofu:20260603191945j:image2026年5月30日は高取古墳の日。

ということで、行ってまいりました。

実はこのイベント、今回一緒に回った関東在住の仲間からの情報で知りました。さすが古墳好き。

受付は午後1時からですが、せっかく遠方からの参加なので朝から回ることに。

仲間のアドバイスで、レンタサイクル(電動アシスト付き)を事前に予約。

飛鳥駅前で自転車を借り受け、AIのおすすめルートを参考に、いざ出発。

 

f:id:narakofu:20260603192531j:imageまず沼山古墳。

こちらは以前サークルにて服部先生の手配で石室内に入ってます。

今回は扉の手前から、パチリ。

f:id:narakofu:20260603192514j:imageつづいて、自転車を集会所前に置いて益田岩船へ。いつもながら、けっこう上ります。ふう。

f:id:narakofu:20260603192502j:image何度見ても改めてその大きさを実感。

f:id:narakofu:20260603192452j:image岩船へお出迎えのウサギさん。

f:id:narakofu:20260603192442j:imageこちらは小谷古墳。

沼山古墳同様、以前内部見学。

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f:id:narakofu:20260603192425j:imageいったん飛鳥駅まで戻り、高松塚古墳へ。

私が初めてこの古墳を訪れたのは、まだ学生時代。もちろんこんなに整備されてなくて、確か雨除けの小屋みたいなものが建てられ、周辺の遺跡スタンプがいくつかおかれていた。ずいぶん前なので、勘違いかも。

f:id:narakofu:20260603192415j:image中尾山古墳。

f:id:narakofu:20260603192406j:image文武天皇陵。

f:id:narakofu:20260603192356j:image束明神古墳。

こちらの石室は復元されて、橿原考古学研究所附属博物館の門入ってすぐ右に展示されています。

このあと岡宮天皇真弓丘陵も見学。

f:id:narakofu:20260603192348j:imageさて、いよいよ市尾墓山古墳

イベント参加の受付を済ませます。サークル仲間も来てました。

f:id:narakofu:20260603192338j:image普段は閉じられている扉が今日は開いてる!

f:id:narakofu:20260603192330j:image保存のために支障があるとのことで、いつもは内部に入ることは制限されています。

f:id:narakofu:20260603192322j:image市尾宮塚古墳。

こちらも普段は扉手前からの見学。

今日は景気よく開かれています。

奥に見える石棺(レプリカ)まで、思った以上に距離がありました。

f:id:narakofu:20260603192314j:image与楽カンジョ古墳。

f:id:narakofu:20260603192307j:image天井が!高い!

約5.3mとな!奈良県で一番ですと!

天井石は一石です!

そして、中はキレイ、すっきり。

ドーム状、ミニチュア炊飯具の出土などから、渡来系氏族の墳墓と見られています。東漢氏ですか?あの?

古墳石室内にはおなじみの彼らの姿は見当たりません。跳ねる方も、飛ぶ方も。ホッ。

 

f:id:narakofu:20260603192301j:imageここでは、かわいい移動トイレが待機。

どれどれ。

あれまあ!少し揺れますが、よくある臨時トイレよりずっと快適。ありがとうございました。

f:id:narakofu:20260603192254j:image寺崎白壁塚古墳。

横口式石槨です。

失礼して、腰掛ける人もいました。

 

f:id:narakofu:20260603192247j:imageぐるっと回って牽牛子塚古墳へ。

涼しい内部でビデオ鑑賞。

ガイドのかたの説明をお聞きして、帰路へ。

飛鳥駅で自転車を返却。

おきまりの、あすかルビーの冷たいスイーツをいただいて明日香をあとにしました。

 

天候に恵まれ、気温も恐れていたほど高くなく(自転車のおかげ?)まさに古墳ざんまいの一日を過ごしました。

こんなイベントの日はやはり、レンタサイクル電動アシスト付きは予約がベターなようです。

与楽への坂道もラクラク。

だれもケガなく、なによりでした。

【活動日誌】信貴山 兵どもが夢の跡

f:id:narakofu:20260518115043j:image5月の例会は王寺駅に集合。

実は例会前日のこと。

「JR王寺駅には改札が複数存在する」

「近鉄とJRの王寺駅は少し距離がある」

との情報が錯綜しました。もちろん周辺に明るいメンバー、そして服部先生のおかげを持ちまして無事顔を合わせることができ、参加者全員予定のバスに乗り込みました。

f:id:narakofu:20260518115010j:image途中バスを乗り継ぎ、ケーブルの駅からいざ出発。

f:id:narakofu:20260518114955j:image大阪方面を望む。あべのハルカスが見えるとか?

f:id:narakofu:20260518114938j:imageまだ余裕のメンバー。

f:id:narakofu:20260518114913j:imageかわいいケーブルカー。乗る人は?

f:id:narakofu:20260518114858j:image駅のそばの山道をゆく。

ちょっと険しい山道です。

まさかク○はいないでしょうな。

f:id:narakofu:20260518114844j:image明るい開けたところに出ました。

高安山気象レーダー観測所とあります。

f:id:narakofu:20260518114829j:image高安城は関係する記録が『日本書紀』『続日本記』に12件残されているにもかかわらず、その所在地は不明であります。

いまわたしたちがいるところも関連した場所のようです。

f:id:narakofu:20260518114812j:image観測所横の空き地は草むらで古墳はその向こうらしい。

これは「(そこに古墳はあるけれど)今日は行きません」パターンかなと思いきや、「では古墳に向かいます」⁉︎

なんとあのやぶを!

f:id:narakofu:20260518114751j:image足元に注意し、木の枝にも気をつけながらしばらく歩くと、高安山古墳群のひとつ、1号墳が待っていました。石室長約2.95m、石室幅約1m。花崗岩を3〜4段積み上げた石室と資料にありますが、入り口が少し狭く、ならこふ入室辞退。どうした!

f:id:narakofu:20260518114718j:imageちょっとこわかった…

f:id:narakofu:20260518114704j:imageつづいて、高安山頂上へ。

487m。

周りは木々が生い茂り、景色は全くみえません。

f:id:narakofu:20260518114648j:imageまた藪の中を歩き、信貴山城の出城跡を見学。

f:id:narakofu:20260518114634j:image古代の高安城の烽跡と推定されていたため、調査した結果それに関する遺構は確認できなかったが、16世紀の礎石建物2棟と土塁状遺構が検出されて信貴山城の出城跡の存在を示す遺構遺物の確認となりました。

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f:id:narakofu:20260518114521j:image歩いてみますと、今は木立に囲まれているものの、いわゆる土塁、堀切などがうかがえ、現代のものが目に入らないためか、とてもリアルに感じました。

f:id:narakofu:20260518114404j:image土塁状の高まりが続いています。

これも当時からのもの?

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f:id:narakofu:20260518114315j:image高安城倉庫跡。

百済が滅亡したこと、白村江の戦いで敗北したことにより、城、防人、烽が設置され、やがて金田城(対馬)、矢嶋城(讃岐)、そして大和と河内の境に高安城が築城されたとあります。

しかし、高安城はいつしかその所在地も不明となっていましたが、市民研究団体「高安城を探る会」により、礎石建物跡の発見されることとなり、発掘調査が実施されるようになって現在に至ってます。

しかしながら、これという決定打は未だ確認されず、触れたと思えばかわされてしまう。まるでカゲロウのようななかなか手強いいとしの高安城です。

f:id:narakofu:20260518114245j:image信貴山城に登城。

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f:id:narakofu:20260518114213j:image信貴山城は楠木正成による築城説も伝わるが、その姿と主を変えながら、ついに松永久秀が城主となり多聞城とともに大和支配の拠点となりました。

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f:id:narakofu:20260518114150j:image結局、信貴山城は久秀とともに消滅しましたが、松永屋敷跡と伝わる場所に立つと木々に囲まれているものの、炎上したそのまま現在にいたっている。年月により自然の変化はあるが、実際にここで争いがあり、炎に包まれたのかと思うと怖くなります。

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f:id:narakofu:20260518114120j:imageこのあと、実にしんどい坂道をみな黙々と歩き、ようやく雄岳山頂に到着。いや、きつかった。

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f:id:narakofu:20260518114104j:image山頂には空鉢護法堂が建てられています。

信貴山に伝わる「信貴山縁起絵巻」に描かれた空を飛ぶ托鉢にまつわるお堂?

信貴山城の天守もあったようです。

 

f:id:narakofu:20260518114056j:image眺望はすばらしく、二上山、葛城山、大和三山が見渡せました。

f:id:narakofu:20260518114047j:imageここから、目を光らせていた?

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f:id:narakofu:20260518114014j:image上空を飛行機が何度も飛びます。

f:id:narakofu:20260518114006j:image目の前の雌岳に向かいます。

f:id:narakofu:20260518113945j:imageこちらもなにか重要な建物などあったのでしょうね。

f:id:narakofu:20260518113937j:image見学を終え、ひたすら下る。

足がおかしくなりそう。

f:id:narakofu:20260518113930j:image朝護孫子寺の張子のトラ。

初対面です。

f:id:narakofu:20260518113923j:imageかつてケーブルカーが走っていた線路跡がいまはハイキングコースとなっています。そこを歩いて帰りましょう。

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f:id:narakofu:20260518113911j:imageこれは‼️なに❓

f:id:narakofu:20260518113902j:image可愛らしい道標。

 

戦国時代の梟雄のひとりといわれた松永久秀。

どんな人物だったのか、ドラマなどで彼を演じた俳優をつい頭に浮かべながら、想像してしまうけれど、この信貴山城は信貴山全体が城。地形をうまく利用し、あるいは普請して防御に備える。地域社会を統治管轄する政治も行われていた。様々な要素を兼ね揃えていた、要塞でありました。

 

破壊された平蜘蛛茶釜は破片となってどこかに埋まっているのでしょうか。

【活動日誌】三重、美旗古墳群

f:id:narakofu:20260413104633j:image2026年度4月講座は、おとなり三重県は名張市美旗の古墳群をまわりました。

「美旗」きれいな名前です。

この一帯は古くは美濃原・小波田野と呼ばれた台地で、総称した美濃波田という地名に由来するそうです。

f:id:narakofu:20260413102504j:image美旗駅前のマップを見ながら、コースを把握。

f:id:narakofu:20260413102455j:image美旗古墳群は出土遺物や墳丘形式の変化から殿塚古墳(4世紀末)から貴人塚古墳(6世紀初頭)まで5基の前方後円墳が順次築かれたと理解されます。これはこの地域の首長層の系譜を示すものと考えられています。

それはこのあと訪れる城之越遺跡の主の系統かもしれません。

f:id:narakofu:20260413102444j:imageまずはじめに駅近くの馬塚古墳。こちらは墳丘に登ることができます。

f:id:narakofu:20260413102433j:image前方部は低平で短く、先端幅が後円部の直径をしのぐ広がりを示しています。

くびれ部両側に方形の造り出しがついて周濠が巡っています。

 

f:id:narakofu:20260413102422j:image歩きやすい墳丘。

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f:id:narakofu:20260413102359j:image後円部の3段築成がはっきり見てとれます。

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f:id:narakofu:20260413102336j:image美旗市民センター。

建物はなんと前方後円墳の形をしています。

美旗地区が一目でわかる地形模型や女良塚古墳出土の家形埴輪、また新田開発文書、新田への分水時間を計った新田用水の日時計などが展示されています。

このあたりの歴史や昔話なども知ることができます。観阿弥、世阿弥も登場。

f:id:narakofu:20260413102326j:image新田開発のための水路。

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f:id:narakofu:20260413102306j:image台地のため稲作に向いていなかった土地に水を引く果敢なチャレンジが、今のこの景色につながっている。

f:id:narakofu:20260413102249j:image風力発電?

f:id:narakofu:20260413102240j:image美波多神社。

f:id:narakofu:20260413102229j:image神社のすぐそばにある、毘沙門塚古墳。

両側には造り出し。西側に周濠を渡る土橋があります。後円部には竪穴式石室の残骸と武人埴輪を祀っていたと思われる祠が残っているそうですが、見た感じではよくわからないです。木棺片も残されているとのことです。

f:id:narakofu:20260413102215j:image古墳のまわり。土橋はどこ?

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f:id:narakofu:20260413102140j:image近鉄線を渡って殿塚古墳へ向かいます。

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f:id:narakofu:20260413101543j:image地区の墓地の奥にあります。

失礼します。

f:id:narakofu:20260413101536j:imageみんなが立つ右手奥に殿塚古墳。

美旗の地は日本書紀持統天皇3年の条に「美濃原の禁野」と記述され、皇室の狩猟場、薬草の採集地として守護人を置き、一般の立ち入りを禁じていました。

ちょうど殿塚古墳を見学後、隣接する墓地の出入り口付近でメンバーがりっぱな鹿の角を見つけました。道中、鹿などの動物は見かけませんでしたが、確かに生息しているようです。遠い昔、薬効を得るため狩をしていた人たちがそこにいるようでした。

ちなみに角を見つけた場所を考慮して、持ち帰るのを断念したメンバーでした。 一同、ひと安心。

f:id:narakofu:20260413101529j:imageこのあとのルートについて相談。

やはり、全員予定通り城之越遺跡まで足を伸ばします。

f:id:narakofu:20260413101521j:image最後の城之越遺跡へ。

くノ一のラッピング電車が通過。

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f:id:narakofu:20260413101501j:image古墳時代に築造された、3ヶ所に湧水源を持つ大溝とそれを取り囲むように古墳時代から中世まで連続的に推移する多数の住居跡が検出。

大溝は水の浄化と水量調節を行う枡状の石組みを設け、合流点では岬状の地形を造成して、石組、貼石、立石で護岸をしています。

大溝の湧水自体を聖なる地として祭祀が行われていたものと考えられています。

f:id:narakofu:20260413101453j:image大型掘立柱建物は古墳時代では日本屈指の規模であり学術的に非常に重要であるとのことです。

f:id:narakofu:20260413101432j:image田園風景と桜。

f:id:narakofu:20260413101425j:image伊賀神戸駅に到着。

三重県名張市美旗地区。

歴史ある地であります。

古代においては大和朝廷の直轄地として保護され、その後、丘陵地帯で開墾が難しいとされ長く原野と放置されていましたが、江戸時代藤堂藩が新田開発に乗り出します。

たび重なる困難を経て今に残る新田水路。

それこそ、古墳時代から続く美旗のまちです。

【活動日誌】再発見!郡山城

f:id:narakofu:20260310131328j:image今年度のラスト、3月の講座はただいまホットな大和郡山城を歩きました。

我らが服部先生といくと、それまで何度か足を運んでいるところであっても、また新たな驚きや発見があります。

今回の大和郡山もサークルの活動として4度目(たぶん)になりますが、次々と広がる初めて見る景色に改めて先生の引き出しの多さにこれまた、驚くばかりです。

f:id:narakofu:20260310131347j:image近鉄郡山駅に集合。

駅で秀長さん関連のパンフレットを手に取る観光客も多く、まずは移動。

f:id:narakofu:20260310131400j:image郡山城といえば、駅を出て近鉄線の東側の道を北に向かい、踏切を渡って鉄門跡を通りお堀沿いに北に歩いて梅林門をくぐって城内に入るコースかなと思いますが、今回は駅のすぐ横の踏切を渡り、北に向かって歩きました。

f:id:narakofu:20260310131414j:image鷺堀。

観光客の姿はほとんど見られず。

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f:id:narakofu:20260310133004j:image何の話を聞いていたのかしら?

f:id:narakofu:20260310133014j:imageさまざまな顔を持つ石垣たち。

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f:id:narakofu:20260310133039j:image鰻堀にはこんな遊歩道が!

f:id:narakofu:20260310133217j:image歩いてみました。

f:id:narakofu:20260310133230j:image鰻堀のお城側石垣はよく見て!ちいさな排水管が見えてます。ということは新しいものですって。

f:id:narakofu:20260310133240j:imageパンフレット「郡山城の構え」によると、このあたりは麒麟曲輪跡。城内高校がありました。今は体育館が残り、利用されているとのことです。

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f:id:narakofu:20260310133433j:image当時のまま残る石垣や後に修理の手が入ったところも。

f:id:narakofu:20260310133443j:imageこのような石が使われていました。どこから持ってきたのかな。

f:id:narakofu:20260310133455j:imageこの草むらの向こうは「玄武曲輪」。火薬などを保管していた。

f:id:narakofu:20260310133710j:image北東から本丸と天守台を見る。

f:id:narakofu:20260310133719j:image本丸の石垣は10mほどの高さがあり、城内でも最も雄大で見応えがあります。転用石材も多く使用されています。

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f:id:narakofu:20260310133938j:image東多聞櫓で開催されている「秀長と郡山のあゆみ」を見学。

郡山城から出土した資料を通じてお城の実態や秀長の足跡、また各時代の地域のあゆみなどを学びます。秀長がどうしてこの地を拠点とし、何を郡山に残したのか、わかるかも。

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f:id:narakofu:20260310133958j:image城内では盆梅展も開催中。

f:id:narakofu:20260310134008j:image古墳に使われていた石材?

せっかく運んだのに、石垣には使われなかった?

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f:id:narakofu:20260310134030j:image迫力あるライン。

f:id:narakofu:20260310134143j:image現在、天守台は東側から階段を上りますが、築城時の入り口が南向きに確認され、石垣をよく見るとそれがうかがえます。

f:id:narakofu:20260310134154j:image天守台にのぼる。

f:id:narakofu:20260310134203j:image秀長も見た景色。今はだれでも見ることができるけど、当時は限られた人のみ。

 

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f:id:narakofu:20260310134434j:image崩れかけている石垣。

印を付けて、崩れ幅を測定しているとか。

f:id:narakofu:20260310134442j:image秀長の菩提寺、春岳院。

お墓は線路の西、大納言塚。ちょっと遠いの。

f:id:narakofu:20260310134450j:image郡山城ホールで開催中のドラマ館を見学。やはりね、せっかくだから。

 

改めて郡山城。

広い、石垣、お堀、そして歴史。

先生の解説とともに歩くと、それぞれが息づいているようで、大きな力を感じました。

まだまだ知らない郡山城や御城下がありそうです。先生よろしくお願いします。

 

2月はならこふの都合によりブログはおやすみしました。今月からまたよろしく。

 

【活動日誌】奈良市東部の寺院跡を訪ねて

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f:id:narakofu:20260122114325j:image2026年1月の定例会は近鉄奈良駅に集合してバスにて移動後、出発となりました。

f:id:narakofu:20260122114309j:image古代、奈良に仏教が伝わって数多の寺院が建立されてきました。法隆寺東大寺など有名なお寺もありますが、地元において力を持った氏族たちが自分たち一族のために建立し、いつしか廃れて今では全く存在すらよくわからない寺院もあります。

かろうじて残る塔の礎石や基壇、瓦などがその存在を今に伝えるお寺もまたたくさんあるようです。

今回はそんないわゆる廃寺の跡をめぐり、当時に想いを馳せてみました。

f:id:narakofu:20260122114234j:imageまず訪れたのは「古市廃寺」。

f:id:narakofu:20260122114211j:image小学校のすぐ東にあたる竹林の中に所在していて、近よることはできません。

f:id:narakofu:20260122114153j:image1960年の発掘で塔跡や金堂跡とみられる基壇を検出。宝相華文軒丸瓦や文字瓦なども見つかり、伽藍配置や軒丸瓦などから飛鳥時代の創建で「野」とヘラ描きした瓦の出土からこの地域で勢力を持っていた和邇氏の同族、小野氏が建立した可能性が高いと注目されました。

f:id:narakofu:20260122114136j:imageしかし、その後の調べで小野氏の可能性はともかく、創建が飛鳥時代とはみなしがたいというふんいきです。

f:id:narakofu:20260122113806j:image冬空の下、次のスポットへ歩きます。

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f:id:narakofu:20260122113742j:image自衛隊の射撃練習場が近いそうな。

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f:id:narakofu:20260122113705j:image続いて「横井廃寺」。

こちらは調査は実施されていませんが、古くから瓦が採集され、近くに瓦窯も見つかっているようです。

今は耕作地やビニールハウスが広がり、近くまで行くことかなわず。当時の姿は想像するよりほかありません。

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f:id:narakofu:20260122113529j:image崇道天皇陵。

崇道天皇とは光仁天皇の皇子で桓武天皇の弟の早良親王のこと。藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら、亡くなった。淡路に送られ葬られたのちこの地に改めて葬られたそうです。

なぜここに?

と疑問に思いましたが、早良親王桓武天皇のお母さんはこの辺りの出身でこの地で子育てしたと思われ、故郷ともいうべき場所が選ばれたようです。

f:id:narakofu:20260122113519j:image崇道天皇陵の前にある不思議な石。石室の石?

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f:id:narakofu:20260122113416j:image円照寺です。

このお寺は決められた日以外は拝観できません。

今日はお寺から少し離れたところまでいきましょう。

f:id:narakofu:20260122113401j:image途中の五ツ塚古墳。

ぽこぽこっと5個の高まりが続いています。開口部は見られないようです。

f:id:narakofu:20260122113350j:imageぐるっと回って「ドドコロ廃寺」。向こうにはゴルフ場。この池まではボール、飛んでこないかな。

1926年ある骨董店に持ち込まれた円形石造物がきっかけとなって発掘調査が行われました。

f:id:narakofu:20260122113341j:imageこの林の中にあったドドコロ廃寺。

南側に金堂跡、その北に八角円堂跡、さらに北東に塔跡が配されていたと判明。

こちらの塔基壇は瓦積基壇の外装をなすもので、これは渡来系氏族が積極的に採用しているとされ、この氏寺も渡来系氏族による建立の可能性が高いようです。この「山村」を本拠地としていた「山村忌寸(やまむらのいみき)」一族がその候補となっています。

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f:id:narakofu:20260122113322j:imageドドコロ廃寺を後にし、バス停に向かう途中。山村銅鐸出土地です。

f:id:narakofu:20260122113314j:image実際に足を運び、関連資料を読んだりしているうちにどんどん廃寺の持つ魅力に惹きつけられていきました。今は想像するより他ない伽藍や金堂、塔など。

残る資料をもとに考えてみるのも楽しいものです。

大和にはまだまだ廃寺、たくさんあるようです。よかったです。