我がサークルはお天気運は良いのか悪いのか、今月もすこぶる好天で10月並みの陽気とか?ないちにちとなりました。
早めに到着してお昼をいただく姿あり。
さあ、出発です。
まず芭蕉塚古墳に向かいます。
マンホール…じゃない。
芭蕉塚古墳は5世紀中頃に築造された前方後円墳で、二段に築かれた墳丘には葺石と埴輪列が施され、周囲には周濠がめぐっていました。周濠を含めた全長は161m。
埋葬設備は後円部で粘土槨が見つかっています。このあとまわる久津川車塚古墳に続いて南山城地域を支配した有力者の墓と見られています。
今は立ち入り禁止となっています。
このあと市街地を少し歩きます。車がけっこう通るので注意。
久津川車塚古墳。
みんな熱心に資料を見ながら、説明に耳を傾けます。
5世紀前半に築造された山城地域最大の前方後円墳。三段に築かれた墳丘にはやはり葺石と埴輪列が施され、周囲には周濠が二重にめぐっていました。外濠を含めた全長は272mで、墳丘長は181mあります。鏡・玉類・武器・武具など多くの副葬品が出土し、南山城地域を支配した有力者と考えられます。
全体像は現地に立ってみてもよくわかりません。造り出しの部分と思われるところもなんとなくな感じで木々に覆われています。
ちょうど周濠に当たる部分で説明を聞いていますよ。
平川廃寺跡
8世紀に造営された寺院で塔を西、金堂を東の法隆寺式の伽藍配置です。
塔跡の基壇がこんもりと感じられます。
地元の方が利用されているのか、一本道が走ってます。
先ほどの久津川車塚古墳の東側に向かいます。
明治27年奈良鉄道線(現在のJR奈良線)の敷設に際して後円部が発掘され未盗掘状態の石棺や副葬品が発見されたわけですが、古墳自体を北から南に線路が走っています。
久津川車塚古墳の東側にやってきました。
周濠
丸塚古墳
5世紀前半築造の前方部の短い帆立貝形の前方後円墳。二段墳丘で葺石と埴輪列があり周濠もめぐっていました。
前方部から大型の家形埴輪が出土。
久津川車塚古墳の被葬者の地域支配を支えた有力者の墓と見られています。
このように、このあたりには地域の支配者の大きな前方後円墳、そしてそれを支えた有力者の少し小さな帆立貝形古墳、そして方墳と被葬者の持つ力を表すような古墳がセットになっているのも特徴的です。
何でしょう?
芝ケ原古墳周辺の整備された広場。
トイレもあり、休憩室も設けられています。
水分補給としばし休憩。
広場には芝ケ原古墳や周辺の古墳、遺跡の分布を地形と合わせて立体的に表現した説明板が設置されていて、よくわかります。
ふんふん。
芝ケ原古墳。
大谷川扇状地を見下ろす標高50〜52mの丘陵北縁部に立地。
前方後方形の古墳で前方部は前端部が開いた比較的短い形をしていたと推定されます。
後方部中心には組合式木棺が納められ、銅釧、四獣鏡、勾玉、管玉などが出土しています。これらは被葬者の頭部周辺にまとめられていたようです。出土した土器から3世紀前半に築造されたと考えられ、初期の墳墓として重要な資料となっています。
出土した銅釧は貝輪を模した青銅製の腕輪で全国的にも数少なく、またこのような形態はほかに例がない貴重なものということです。
続いて、正道官衙遺跡です。
8世紀前半から9世紀前半の大型の建物群が方位を合わせて計画的に配置され、その規模や構造から奈良時代の山背国久世郡の群役所跡と推定されています。
南に門。
四方に庇を持つ中心建物である庁屋。
久世神社の境内に保存されている、久世廃寺跡。
右手の坂道は…
鉄オタとしてここは撮っておかないと。
久世廃寺跡。
7世紀に創建された寺院で、こちらは塔を東、金堂を西に置く法起寺式の伽藍配置を持ちます。
みんな何を探しているのかな?
見つかったのかしら?
久世神社西側。
この日は城陽駅近くの街中で解散。
今回もよく歩きました。でも歩きやすいコースです。
城陽市の遺跡、古墳を知る良い機会となった一日でした。