今月は岡寺駅に集合して橿原西部の遺跡を巡ります。
岡寺駅といっても岡寺までは少し距離があります。
始めに服部先生から古墳の石室内見学についてのお話があり、みんな大喜び。
橿原市の担当の方が普段施錠されている鍵を開けに来てくださるとのことで、まず沼山古墳に向かいました。
途中、牟佐坐神社(むさにいますじんじゃ)に立ち寄りました。
この神社は「延喜式」神名帳高市郡の「牟佐坐神社」とされ、かの壬申の乱にまつわる生霊神を祀った社と伝わります。
沼山古墳まで少し急ぎ足。
高取川がすぐ向かいで直角に曲がっています。
もうすぐ沼山古墳の案内板。たしか初めて。
少し階段を上ります。
馬酔木が咲いていました。
春はそこまで来ています。
まず先生からこの古墳について解説。
そして中へ。
天井が高い。
土師器、須恵器などの土器類のほか、金銅製馬具、銀製空玉、トンボ玉などの出土から6世紀後半の築造とみられていて、
・石を7〜8段積み上げて途中から持ち送られ天井は小さくなるドーム型。
・玄室平面が正方形に近い。
・ミニチュア炊飯具などの渡来系氏族の古墳に特徴的な副葬品が出土。
などから、真弓鑵子塚古墳、乾城古墳、与楽鑵子塚古墳などとともに渡来系の人々の墳墓と思われます。
みっちり積まれた石、天井までの美しいフォルム。
築造に関わった人たちのきっちりした仕事ぶりがうかがえます。
墳丘にものぼってみました。
続いて益田岩船へ。
その前にトイレ休憩。
きれいなトイレで気持ちよく使わせていただきました。
足もとに…
また少し上りますよ。目指すはこの山の中に!
どーん。
初めて見たときは本当に驚きました。
なにこれ?という感じです。
この格子状の溝はこのあと、いくつかのプロセスを経て表面を平らにする加工過程途中らしく、解説を聞くとなるほどとうなずけます。
松本清張の「火の路」でたしか登場人物がこの辺りでお弁当を食べたくだりがあったと思いますが、もう一度読む気力体力はもはや無い。
とにかく大きい。
この巨石をどこかへ移動するにはこれまた驚くほどの技術、労力が必要です。となるとやはりここで作業をし、ここに設置する予定だった?
いや、もしかして、昔の人たちにとってなんともない作業だったの?まさか。
ほど近くの牽牛子塚古墳の石室と似ていますが、そちらは凝灰岩製。この益田岩船は花崗岩で加工が難しいぶん、完成したらさぞかしすばらしく施主様は喜ばれたでしょう。
危ないので、登ってはいけません。
そして、小谷古墳へ。
こちらも先ほどの市の方が鍵を開けて待っていてくださいました。
からっとしたものです。
コウモリは見当たりません。
なかにはりっぱな石棺が。
いわゆる縄掛突起はなく、いたってシンプル。しかしくり抜かれた棺は眠る人物が持っていた力を物語っています。
天井石はなんと一石。
天井石の縁は10cm強の幅できれいに整えられていました。
壁はご覧のように三角の石をはめ込み、こだわりの凝ったつくり。
あちこちには古墳が作られた当時からあるらしい漆喰が。
どっしりした、美しい石棺。どんな人物が眠っていたのでしょう。
石室の開口部付近の石。
これも古墳の一部?
しばし先生の解説を聞きます。
次のポイントへ。
橿原神宮前駅近く。
土筆も元気いっぱい。
このあたりは軽寺があったといわれています。
向こうに植山古墳が見えています。
孝元天皇 剣池島上陵(こうげんてんのう つるぎのいけのしまのえのみささぎ)
石川池
日本書紀によると、この池は応神天皇の時に築造された剣池とされ、また1つの茎に2つのハスの花が咲いて蘇我氏繁栄のしるしと喜んだと伝わっています。
あたりはしんとしていました。
石川廃寺跡
今はこれという遺跡は見ることはできません。
ただきれいな梅の花が満開でした。
今回はいつにも増して充実した時間となりました。
先生の手配で思いがけない石室内見学もあり、メンバー全員感激の半日をすごしました。
来月から、新しい年度が始まります。
服部先生セレクトのコースも決定しました。
新年度も元気でメンバー一緒に勉強したいと思っています。
よろしくお願いします。