小雨の残る中、「服部先生と歩く桜井の古墳」スタートしました。
参加申し込みいただいた8名のみなさんと我々メンバーから6名、そして服部先生の総勢15名で桜井駅南口を出発。
古墳三昧はじまりです。
まず、駅からまもなく南に下ったところ。
先日の例会で歩いた横大路が伸びてきています。
傘はいるかな?どうかしら?
若桜神社
この日は先生には名札をつけていただきました。
この名札を目印に歩いたり、質問したり。
「桜井」の地名由来との伝承もある井戸。
この辺りは磐余地方と呼ばれ、神功皇后をはじめ、履中天皇や用明天皇が都を置いたとされています。この地の重要性がうかがえますね。
上之宮遺跡
大型掘立柱建物群や園池遺構が検出されたほか、木簡、琴柱、べっ甲など貴重品が出土していることから、豪族や位の高い人物の邸宅とみられています。
この辺りの地名が上之宮であることや聖徳太子が幼少、青年期を上宮(かみつみや/うえのみや)で過ごしたと伝えられていることから、聖徳太子が住んでいたのでは?という説もあるそうですが、さて。
こちらは谷首古墳です。すぐ前の道を車が走っています。
開口部の石が片方抜き取られていて天井部分が落ち、いっそう入り口が狭くなっています。
よいしょ、失礼します。
玄室天井の高さは約4m。
凝灰岩の小片が見つかっていて石棺が安置されていたと推定されています。
内部は高さ、広さとも圧巻です。
安倍寺跡。
まもなく雨も上がるとの予報ですが、ここではまだ傘が必要です。
西に塔と東に金堂、それをめぐる回廊跡、北側には講堂と考えられる遺構が出土。法隆寺式の伽藍配置であることが明らかになりました。
安倍文殊院の前身にあたるお寺。
安倍寺は平安末期衰退し、鎌倉時代に現在の文殊院に移りましたが、その建立用の瓦を焼いたのがこの安倍寺瓦窯とみられています。
鎌倉時代の平窯式とよばれる窯が五基保存されています。
安倍山丘陵から西北に派生する尾根を利用して築造されました。
とても美しい石室で、玄室部は長方形に切り揃えられた石が5段積み上げられています。側壁は縦線を線刻し2石に見せるなど、こだわり感満載の古墳です。
文殊院東古墳
西古墳より少し古いようです。
みなさんなごやかに先生の解説に耳を傾けています。
こちらは入れませんが、中には井戸があり、かつてはこの井戸の水でお習字の練習をすると上手になったとか。都市伝説。
もともと、この地域は安倍一族のお墓だったのですね。
雨は上がりました。
東の山はご覧のとおり。
後編へ続く!