しばらく厳しい寒さが続いていましたが、この日は天候に恵まれ、今月も全員集合となりました。
近鉄御所駅から出発です。
今日のコース説明など済ませてバスを待ちましたが、なかなか来ません。
先生も待ってます。
ようやくバスに乗り込みました。バス停3つほどですが少しでも体力温存。大和八木から乗って来たメンバーと合流しました。
西の方を望むと、左手に金剛山右には葛城山。そしてそのまだ北には二上山。
まず御所市文化財展示室に立ち寄ります。これから行く宮山古墳などをお勉強。
こちらでは御所における縄文時代から古墳時代を中心とする一級の資料が展示され、間近に見ることができます。
御所に関するパンフレットや資料も豊富に設置され、いっそう興味が惹かれる内容となっています。
職員のかたの手作りでしょうか。
まず宮山古墳に向かいます。
この辺りは周濠の一部?
八幡神社の裏手から登ります。
墳丘に登る途中にあった石。
これももしかして、古墳の何か?
全長238mという巨大な前方後円墳である宮山古墳。
後円部には南北並んで2基の竪穴式石室があり、そのどちらにも長持形石棺が納められています。
この長持形石棺は「王の棺」ともいわれ、とりわけこの南石室のそれは蓋石の長さ3.51mというとても豪壮なものです。
何と言えば良いのか、このかたち。
家形石棺に比べて、素朴なのか…
大きな穴が開けられています。
(帰りに出会った地元の人の話では子どもの頃入ったことあるとか?)
このような形象埴輪が巡らされていたとのことです。
盗掘は受けたものの、なお数多くの遺物が残されており、本来どれほどの副葬品があったのか。
長持形石棺が用いられていることの意味も含め、いったいどのような人物が葬られていたのでしょう。
お風呂のふたのような天井石(6枚?)が一枚外れていて、そこから一段降りて石棺をのぞかせていただきます。
北石室。
ネコ塚古墳。
みやす塚古墳。
こちらは立ち入ることはできません。
巨勢山古墳群條池支群
少し山に入ります。
頼りになるメンバーたち。
どれどれ
内部はどんな感じかな?
石室内ちょっと危険な雰囲気。
條ウル神古墳。
2002年の御所市の調査で大型横穴式石室の存在が再確認され、100m前後の前方後円墳とも推定されています。
玄室長7.1m、高さ3.8〜4mの石室は石舞台古墳の石室(玄室長7.7m)にも匹敵するとのこと。
また、石室内の刳抜式家形石棺は蓋石の長辺各3、短辺各1、計8個の縄掛突起を持つ珍しいものということですが、調査後埋め戻されて現在は見ることができません。
いつか見学してみたいものです。
大和琴引原推定地
『日本書紀』によると日本武尊(やまとたける)は伊勢国能褒野(のぼの)で崩じ、葬られましたが、白鳥と化して大和を目指して飛び立ち大和の「琴引原」に留まってそこに陵が営まれました。やがてまた飛び立って河内国に留まりその後ついに天に登ったと記され、その大和の琴引原がこの地としています。
近くのバス停までがんばって歩きます。
大きな病院の前にあるバス停。
まもなくバスが来ます。
車内は私たちで貸し切り状態。
この周辺に詳しい仲間にいろいろ説明してもらいながら駅に着きました。
御所。
古代の豪族、葛城氏の本拠地とされています。
由緒ある神社や遺跡、古墳群をあらためてたずねたいと思います。