【活動日誌】横大路を歩く

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f:id:narakofu:20230306151544j:image近鉄大阪線真菅駅からの出発。

良いお天気となりました。

f:id:narakofu:20230306151609j:image駅南口からまず宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)へ向かいます。

f:id:narakofu:20230306151621j:imageこのあたりは古代、大和国高市郡曽我里でした。

かの蘇我氏の出自についてはこの高市の地?あるいは葛城から?はたまた河内国石川郡出身なのか。はては渡来人説などありますが、さて。

葛城地域から派生した勢力が曽我の地を本拠地としたものと見るのが、今のところ有力だとか?

f:id:narakofu:20230306151703j:image優しい梅の香りが出迎えてくれました。

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f:id:narakofu:20230306151733j:image西には二上山がくっきりと見えています。

見る場所によってその形が変わる山ですが、この方角からは二つの山がばっちり。

f:id:narakofu:20230306151746j:image曽我川

f:id:narakofu:20230306152943j:image次は金橋神社へ。この先で左手(南方向)に曲がります。

f:id:narakofu:20230306151817j:image入り口に設置されている案内板によると、

継体天皇の第一皇子である安閑天皇は勾金橋宮(まがりかなはしのみや)で即位され、勾金橋(橿原市曲川町)で善政を敷かれました。その神霊を祀り創建された権現社がこの金橋神社である

とのことです。

f:id:narakofu:20230306151831j:image裏手に大きな木がありました。

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f:id:narakofu:20230306151911j:image先生の話に耳を傾けて。

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f:id:narakofu:20230306151938j:image曽我陣屋跡

旗本多賀氏による所領支配の拠点でした。多賀氏は浅井長政豊臣秀長に仕えたあと、徳川家康に属して高市郡内に住んだと伝わっています。

今は真菅公民館や曽我町陣屋会館などになっていますが、周囲には堀の痕跡や地割を残していて陣屋跡の広がりを把握できます。

f:id:narakofu:20230306151950j:image入鹿神社

f:id:narakofu:20230306152002j:image名前のとおり蘇我入鹿が祀られています。

地元の人たちによって手厚く守られているようです。

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f:id:narakofu:20230306152026j:image横大路を進み八木町までやってきました。

途中の現在の横大路は道幅が狭い上に車の往来が多く、写真が少なくなりました。

f:id:narakofu:20230306152039j:image横大路を行く人たちの安全を見守ってきた太神宮灯籠。

f:id:narakofu:20230306152050j:image横大路は日本書紀に推古21年(613)にはすでに官道として整備されていたとありますが、江戸時代初め、伊勢神宮の信仰が急速に広まり、大和と伊勢を結ぶ伊勢街道または初瀬街道として人々が往来しました。

その道先案内として、太神宮灯籠が設置されました。

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f:id:narakofu:20230306152115j:imageちょうど横大路のすぐ北沿いの建物の10階展望室からの眺め。

耳成山はさすがにはっきりわかりますが、香具山、甘樫丘になると私の眼にはキビシイ

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f:id:narakofu:20230306152136j:image八木の接待場跡

当時、大和伊勢街道沿いでは八木が最大の宿場町であったこともあり、旅人に対して食事や湯茶の接待が行われ、ここがその場所として長く大切にされてきたそうです。

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f:id:narakofu:20230306152159j:imageなんと「国分寺」という名前の寺院。

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f:id:narakofu:20230306152230j:image横大路(初瀬街道または伊勢街道)と下ツ道(中街道)の交差点、「八木札の辻」

「札の辻」とは「高札場のある辻」つまり「掲示板のある交差点」をあらわし、ちょうどここには高札が立てられ、人々の集まる場所でした。

かつて伊勢参り大峰山への参詣巡礼の旅人で賑わっていた旅籠が八木札の辻交流館として公開されています。

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f:id:narakofu:20230306152256j:image下ツ道

f:id:narakofu:20230306152309j:image主人の居室と接客の部屋を遮る板戸。

全て閉めると板の壁のようになります。

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f:id:narakofu:20230306152350j:image天井にも違いがあり、これは主人の部屋のもの。客室より贅沢なものになっています。

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f:id:narakofu:20230306152411j:image一階の土間にある井戸。

現在も散水に使用しているとのこと。

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f:id:narakofu:20230306152436j:image交流館のかたから詳しい説明、案内を受けました。

館内にいると、あちらこちらで当時の旅人たちに出会えそう、彼らの気配を感じるそんな魅力ある旅籠です。

 

 

f:id:narakofu:20230306152450j:image交流館で教えてもらいました。

この家は以前郵便局だったそうで、なんともかわいいマークの瓦。

f:id:narakofu:20230306152457j:image今回はこの八木の辻で解散となりました。

タイムスリップしたような、そんなまちです。