暑い日が続く中、7月例会です。
この日は風もあり、前日までよりは穏やかな暑さでした。それでも気は抜けません。みんな水分補給をまめにしながら、平城山周辺を歩きました。
JR平城山駅に集合。
北方面に向かいます。
まず最初の瓦窯である歌姫瓦窯跡。
あたりは草が伸びてますが、説明板がありました。
奈良と京都の境です。
この地域にはたくさんの瓦窯がありました。このあと京都側の瓦窯跡に向かいます。
大きな魚❗️鯉でしょうか❓
途中、先生の説明を聞きます。
先生の向いている方向にこれから行く瓦窯跡があるようですよ。
あちー
がんばって歩きます。
JR奈良線の上を渡りました。
上人ヶ平遺跡です。
ここには窯のほか、瓦を作る工房の跡も残っています。
シロツメクサいっぱい
瓦を作ったり、乾燥させたりした小屋が復元されています。
先生の説明はこの中で水分を摂りながら聴きました。
先生の話を熱心に聴いています。
時々質問も。
それを打ち返す先生。
この遺跡では、瓦窯や工房も見つかっていますが、それより古い古墳も何基か確認されています。
工房の南側、小さな谷を隔てて窯跡がありました。
この地域は都にも近く、土も良く地形も窯を作るのに都合が良かった。それでたくさんの瓦窯が作られました。
いくら都に近いとはいえ、出来上がった重い瓦をそれも大量に運ぶのは大変な仕事だっただろうと思います。
普通、朝にはしおれちゃうらしい
昼間には珍しくカラスウリの花が咲いていました。
水田に挟まれた道を歌姫街道に向かって歩きます。
先ほどの上人ヶ平遺跡が向こうに見えています。
歌姫街道から西に入ります。
音如ヶ谷公園にある瓦窯跡のひとつ、歌姫西瓦窯跡。
小さな石で窯の形を示しています。
音如ヶ谷瓦窯跡。
窯のようすが復元されています。
これは、有畦式平窯(ゆうけいしきひらがま)で初期の窖窯(あながま)より燃焼効率がよく、このあと長らくこの形が官窯として定着していきました。
音如ヶ谷瓦窯跡から少し西に行ったところの集会所前に銅鐸出土の案内板があります。
実際に出土した場所にしるしがありました。
この辺りを住宅地として造成した際に見つかったということです。
一般住宅の前にあります。
高の原の街。駅の西。
もう少しがんばって、石のカラト古墳まで。上り坂ですがファイト!
石のカラト古墳です。
終末期古墳で上円下方墳。
なんだか、かわいらしい様相です。
キトラ古墳や高松塚古墳のように横口式石槨を持ち漆塗木棺が収められていたようです。壁画は見つかっていない模様です。
奈良と京都の境目。
小さな古墳ですが、遠く離れた高松塚古墳やキトラ古墳と同じような石槨を持っている。どのような人物が葬られているのでしょう。
石のカラト古墳を後にし、駅まで戻って7月例会終了です。
今回は瓦について勉強しました。
瓦を作るには土はもちろん燃料となる木も必要でした。また瓦を焼く窯を作る地形もこの辺りは適していた。そして何より供給地である平城京に近かった。
多くの工人やその他瓦作りに携わる人たちの生き生きと仕事に励んでいる様子が目に浮かぶようです。