今回も元気な面々が集合
天理駅から出発です。
あとのコースを考え、5分足らずですがバスを利用。天理の病院前で下車。
まず、資料を見ながら先生の説明を聞きます。
向こうに見えるこんもりした緑が別所鑵子塚古墳。
私有地があり近くまでは行けません。
この道路あたりに袋塚古墳がありました。
道路建設に伴う調査で前方後円墳であることが確認され、周濠内から多量の埴輪、土師器、須恵器が出土。その特徴から古墳時代後期前半の古墳と見られています。
近くの小学校の敷地内に所在した塚山古墳。
今は完全に消失していますが、東西約49m南北約36mほどの前方後円墳で周囲に池状の周濠があったようです。
古墳時代中期後半の特徴を示す円筒埴輪が出土し、この別所町に集中する4基の古墳の中で先行して築造された可能性が高いとのこと。
近くの古墳から運ばれたと伝わる石造物。
石棺??
このあたりに別所城とよばれる城館がありました。
わたしたちはちょうどその西北の角に立って説明を聞いています。
みんなの視線の先にはいったい何が…?
東に向かって土塁が残ります。
はじめに別所鑵子塚古墳を望んだ場所からくるりとまわって別所大塚古墳に向かいます。
別所町集落の東北側に位置し全長約125m。このあたりに分布する4基の前方後円墳のうち最大規模です。
後円部に南向きに開く掘削跡があり、横穴式石室の跡と見られています。
急な崖のようになっているらしく、若き日に訪れた経験を先生から伺い、わたしたちももちろん近づくのを遠慮しました。
道路建設中?
この向こうにもなんらかの遺跡が眠っているようですよ。
遠い昔、物部氏が力を誇っていた…
さあ、少し山道に入ります。真っ赤なカラスウリが迎えてくれました。
この豊田町北側の丘陵は天理砂岩の採取地であると言われています。
いわゆる天理砂岩は古墳時代終末期から飛鳥時代の庭園や古墳に切石として使用される例が多く、天理市内の石上・豊田古墳群の一部の横穴式石室や、峯塚古墳にも使用されているとのことです。
竹藪の間を進みます。
石上大塚古墳。
このあと訪れるウワナリ塚古墳と並ぶように築かれています。
石室がむき出しになっているよう。
足元に気をつけて。
くだりは特に慎重に。
こんなとき、やはり頼りになる面々。
石上大塚古墳の前方部。
竹藪の向こう。
笹の葉に覆われた細い道を進む。
今回は紅葉もまだまだ楽しみました。
いよいよウワナリ塚古墳に到着。
すきまから失礼します。
開口部から羨道を少し腹這いになりながら進みますが、まもなく長さ6.8m、幅2.9m〜3.1m、高さ3.6mの巨大な玄室となり、その大きさに圧倒されます。
ウワナリ塚古墳を後にし、次のポイントへ。
石上銅鐸出土地。
案内板の向こう、畑から2つ見つかったそうです。
説明板を確認。
JR櫟本駅に到着。今日の解散は、途中の天理街道。
うまくバスをつかまえ、乗り込んだメンバー、ひと足先に駅まで急いだ面々。
とそれぞれ家路につきました。
わたしの今日のお昼は、橿原からのメンバーが予約して買ってきてくれた飛鳥巻!
やはり、いつもの通り美味しかったです。