【活動日誌】下ツ道を歩く

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少し肌寒くはありましたが、晴天のもと、二階堂駅に集合。

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二階堂駅は近くに学校があるので、学生さんたちで賑わってました。

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駅のすぐそばを通る下ツ道を北へ歩きます。

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歴史を感じさせる鰻屋さん。

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今度いただきますか。

 

しばらく歩くと京奈和自動車道が見えてきます。f:id:narakofu:20211206181517j:image

その下をくぐり、北側へ回ります。

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田畑が広がっていますが、自動車道の真下あたりに水晶塚古墳があります。

 

今は埋め戻されています。帆立貝式古墳と推定されています。

この古墳の周濠内からは埴輪のほか様々な種類の木製立物や鉄製品、石棺に使用された可能性のある阿蘇溶結凝灰岩などが出土しています。

墳丘の周りには埴輪や鳥の形をした木製の埴輪がたくさん並んでいたということ。杭の先にとまっていたり、吊り下げられて、揺れていたり。かわいいような、さびしいような。

近くにある星塚と共通する点が多く、継体大王に仕えた人たちのお墓と見られています。

水晶塚、星塚。

どちらもきれいな名前ですね。

 

下ツ道に戻ります。

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日本書紀の記事から7世紀後半には設置されていたことがわかっており、その後藤原京平城京にも密接に関連していました。

わたしたちが暮らす現代でも道路ができることによって便利さが全く違います。

当時、工事は困難を極めたでしょうが、道が整えられるということの重要性は今より大きかったかもしれません。

それまでは獣道のような、迷うこともあれば、危険な目にも遭うおそれもあった。

道路を整備することで、すべてが始まり続いていく。

今も昔も大事なものはそう変わらないのかも。

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下ツ道に関する遺構が出土して、上の道路の橋脚の幅が広くなったそうです。

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現在下ツ道として残っている道路ですが、当時はもっと幅広く20メートル以上ありました。

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今回は途中にトイレがないとのことで珍しく喫茶店での休憩となりました。

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思いの外ゆっくりしてしまいましたが、このお店こそ、北の横大路と下ツ道とが交差する場所にあります。

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さてまた北に向かって歩きます。

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稗田・若槻遺跡は人工的な河跡と橋脚が検出されています。

橋の周辺から下流にかけて多数の祭祀遺物が見つかっていて、この場所は重要な祭祀の場であったようです。

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現在は民家が建ち並んでいますね。

 

稗田の環濠集落と賣太神社

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奈良には多くの環濠集落があります。

この稗田の環濠は映えますね。

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稗田阿礼が祀られている神社です。

かつてはもう少し小さな社殿でしたが、今は大きくなりました。

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そろそろ大和郡山に入りました。

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ここでいったん解散です。

おつかれさまでした。

 

分かれてこのあと佐保川に沿って、羅城門跡に向かいました。

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この辺りは今は佐保川が流れていますが、かつては下ツ道でした。

 

羅城門跡

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平城宮朱雀門より大きい門があったと考えられています。

ここで大切なお客さま(海外からの?)をお迎えするセレモニーが行われたりしたとか。

また不審な出入りがないよう、夜などは閉めて番をしていたとか。

この日はお天気が良く、はるか北の方に平城宮朱雀門大極殿が見えました。

さて、見えるでしょうか。

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いま見ると、どれか分からない…

本当に真っ直ぐに走っていたのですね。

 

下ツ道。

実際に歩いてみて思ったこと。

当時と現在の地続き感が半端ない。

ロマンは求めないわたしですが、否応なく迫りくる、やつら。

人々が歩いてこそ道はできて、そして残る。

あれ!

これってやっぱりロマン?

いやいや、ロマンはいりません。

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