台風の影響も少なく程良い曇り空のもと、10月の例会は桜井の遺跡を巡りました。
桜井駅北口で集合。観光案内所で古墳探訪シリーズをいただいて、さあ出発。
山の辺の道のスタート地点ともいうべき大和川沿いの海石榴市(つばいち)へ。
この海石榴市。
どこまでが「つば」?難しい。
山の辺の道などいくつかの古道が交差する陸の交通の要衝であるこの地は、また難波津から大和川(初瀬川)を遡行する舟運の終着地でもありました。
途中にあるパン工場。
写ってませんが、すごい行列。
途中、トイレもあります。
海石榴市は多くの物資が集まって、交易の中心として栄えたのですね。
また大陸からの人や物そして仏教の玄関口でもありました。
小野妹子が帰国したのもこの地、隋からの使者を飾られた馬を75頭用意して、盛大に出迎えたのもこの場所でした。
ということで、りっぱなお馬さんの像が建っています。
少し民家にはさまれた道を歩き、右に折れると海石榴市観音があります。
ちょっと休憩。
おやつをいただきます。水分補給も。
やや細い道を進みます。上り坂です。
右手に見えてきたのが金屋の石仏の収蔵庫です。
覗き込んでます。
覗き込んでます。
格子の中を覗くと石仏が二体並んでいます。
もともとはこれより東に入ったミロク谷に置かれていたとのことですが、詳しいことはわかりません。
またこの収蔵庫の下に加工が施された石材が二つあり、ひとつは阿蘇ピンク石製の家形石棺の蓋材です。見ると本当にピンク石。
どうしてここにあるのか、どこから持ってきたのか、そして棺身の部分はどこにあるのか。
よくわかっていないということです。
それにしても無造作に置かれているなあ。
続いて少し進んで左に折れ、「志貴御県坐神社」です。
境内右手に磐座が祀られ、周辺の発掘調査でも祭祀遺物が出土していることから、この神社は原始信仰に関わりがあるのではといわれています。
この辺りはそのほか多くの伝承が伝えられていて、ともかくなにかはあったに違いないようです。
山の辺の道に戻り北へ向かいます。
残りは後編へ。