昨日は奈良のあちらこちらで雪が降りましたが、今日はまずまずのお天気。
さて近鉄大阪線、築山駅で集合です。
駅からほど近く、インキョ山古墳。
現在は幼稚園が建つこの場所にこの古墳がありました。今はごらんのとおり。
少し歩いてカン山古墳。
見るからに古墳です。こんもりとかわいらしい。公園として整備されています。
墳丘の上に立つと向こうにコンピラ山古墳が見えます。
こちらのカン山古墳の方が大きいように思いますが、実はコンピラ山の方がずっと大きいとのこと。
そして奈良にはそのほか富雄丸山古墳や以前訪れた近内鑵子塚古墳など大きな円墳が多くありますそうな。
わたくし、先生に言われるまで、近内鑵子塚古墳、前方後円墳と間違えていました。いやはや。
続いてすぐ近くの築山古墳。
陵墓参考地にされていて墳丘内には入れませんが、これも大きい古墳です。
周濠もなかなか堂々としたものです。
カン山古墳の方から歩いてきて、ほりに沿ってくるりと歩くと水面にぽっかり浮かんでいるような姿を見ることができます。
カワセミが迎えてくれました。
どこ?
築山古墳の陪塚にも立ち寄りました。
このあたりは馬見古墳群の南群でほぼ同時期のものと考えられているようです。
小池寺というお寺の道を挟んで西側、春日神社の横に地蔵堂があり、その中には長持型石棺の蓋石に刻まれた地蔵石仏が安置されています。
市が出している広報誌によると、だんだんと傷んできているようですが、お堂はきれいに管理されていて大切に守られているようです。
ちょっと失礼しますよ。
鎌倉時代以降に加工されたとみられています。
しばらく町中を進みます。
老人ホームや市保養センターなどが集まるエリアからは4〜6世紀にかけて築造された10数基の様々な古墳が開墾によって削平された状態で発見されています。
このあたりは池田遺跡と呼ばれ、それはそれはりっぱな、大型古墳にも引けを取らないほどの精巧な形象埴輪が出土しています。
解説板が設置されていて、靫(ゆぎ)を背負う男性の埴輪の写真が解説とともに見ることができます。
そして北に先ほどの築山古墳の森を望めます。
このあと、昨年9月に新しくなった大和高田市の市役所に寄りました。
1階のロビーでしばし休憩して6階の展望室に上がりました。トイレを拝借しましたが、もちろんとてもきれいです。
南向きに展望が開けていて、遠くに金剛山、葛城山そして東方向には三輪山が見えます。
上がって正面。
左。つまり東。多分。
右。つまり西?金剛山方面。
大和高田市はこういう場所に位置しているのですね。市役所を後にし、高田川を渡ります。
この川はこのあとまわる歩道橋の下をかつては流れていたそうで、氾濫などから街を守るため今の場所に変わったとのことです。
歴史を感じさせる街並みをしばらく歩きました。
専立寺。
高田本坊ともいわれています。
このお寺を中心に寺内町が発展。江戸・明治・大正・昭和の街並みが見られる歴史地区です。
長谷本寺の前を東西に走り、大和と河内を結ぶ大道、横大路。
今は抜け道のようで交通量が多い上、道幅も狭く歩くのもちょっと危ない感じです。かつて多くの人が行き来し、外国からの使者もさかんに往来した道。
今ももちろん重要な道路のようです。
もうすぐゴール。
今は車がどんどん行き交うこの辺り。
もとは先ほどの高田川が流れていたということです。
あの静御前のお母さまが高田出身だとか?
さて、今回もよく歩きました。
初めて訪れた大和高田のまちですが、やはり多くの遺跡にあふれる魅力あるところでした。
個人的には市庁舎から見た景色。
位置関係がようやく見えてきた1月例会でした。
畝傍山と古墳を間違えないように、購入してきた地図…