さわやかな秋晴れとなった1日、都介野の遺跡を巡りました。
都祁、柘植、都介野などなど。
漢字で書くと様々な字となる「つげ」
さて、どんなところなのでしょうか?
近鉄榛原駅北口に集合。少しわかりにくいので、服部先生が改札口で待機してくださいました。先日の奈良新聞の記事を見て見学参加の方を交えていざ、バスに乗り込みます。
いつもは地元のレギュラー乗客が占めるであろうバスに元気いっぱいのおじさん、おばさんが乗り込んで、なんだか今日は混んでるぞ。
あっ、服部先生お立ちになってる❗️
狭く曲がりくねった道をバスは進み、都祁水分神社バス停で下車。
あたりはのどかな田園風景です。
そこは鳥居をくぐった瞬間清涼な空気に包まれた静寂の世界。
私たちのほか、誰も見当たらない。
凛とした境内。
人々の神を畏れ敬う気持ちがひしひしと感じられる、清らかな神社でした。
少し歩いて、小治田安萬呂の墓。
墓誌も発見されて、葬られている人物が判りました。
いったいどんな人物だったのでしょうか。都を離れ、この都祁の地に眠る。周辺には、同様のクラスの官人が他にも葬られているとのこと。
自動車もない、当時運ぶのは苦労したのでは?と下世話な心配をしてしまいました。
続いて来迎寺。
こちらも人影はなく静かです。
時代劇に出てくるような、階段を登り門をくぐると多数の五輪塔。大きなものや可愛らしいサイズまで。地元の人たちが供養のために建てた。
別の場所に移されたものもあり、数はかつてより減ってはいますが、まだまだたくさんおかれています。年月を感じました。
そしていよいよ三陵墓古墳。
まず、西古墳。きれいに整備されています。トイレも設置されています。
当時そうであったろうと思われる埴輪を再現してぐるりと配置しています。
想像を超える長さの木棺。長い。中で眠るのはその長さに見合う権力を持った人だったのでしょうか。コウヤマキという木を半分に縦割りして、中をくり抜き作られた棺。そしてこの長さ!
大切にしていたものや、その他一緒に埋葬したのですね。長い。
東古墳。
こちらは前方後円墳ということですが、前方部が低いので、後円部分に立つと、円墳のてっぺんにいるような気分です。
メンバーからのふかし芋のおやつを頬張りながら、バス停に向かいました。
今は田畑の広がる都介野の里。
当時はどこかにつながる道が通る活気ある土地だった、そうな?
今回は拙宅のリフォームと重なり更新が遅くなりました。
次回以降はいつも通りになるはずですので、今後ともよろしくお願いします。