すばらしい秋晴れのもと、10月例会は畝傍御陵前駅東口から出発です。
今回は16年と短命ながら、歴史的に重要な転換期となった舞台、藤原京周辺をじっくりまわります。
まず本薬師寺跡へ。このお寺は天武天皇が皇后の病気回復を願って発願、造営を開始。その後持統天皇が継承して双塔式伽藍の寺院として完成しました。まさに愛の寺。わたしは西の京にある薬師寺と勘違いしていました。
金堂あとに柱のりっぱな礎石が多数残っています。
金堂あとから西塔跡へ向かいます。
こちらにも礎石が残っていました。
このあと、向こうに見える東塔あとへ。
まわりは金色に輝く稲穂が稲刈りを待つばかり。
心礎にはホテイアオイが!
今日はもりだくさんです。
こちらは藤原宮の瓦を焼いたとされる日高山瓦窯です。
平窯、窖窯(あながま)合計6基の瓦窯が発見されています。大規模な瓦の生産体制が整えられ、藤原宮の造営を支えました。
日高山瓦窯跡より朱雀大路のながめ。
朱雀大路。
向こうに耳成山が見えています。
説明板を見ながら、先生の解説。ふむふむ、なるほど。
朱雀大路の今。
藤原宮跡資料室を見学。そして休憩。
熱心に何についてお話中?
ここでは、藤原宮の瓦を見ることができます。
藤原宮の瓦は先ほどの日高山瓦窯だけではなく、讃岐や淡路島、近江など奈良盆地外からも運ばれていました。
水分補給。
香久山です。
大官大寺へ向かいます。秋ですね。
大官大寺跡。
先ほどの本薬師寺とは朱雀大路をはさんで東西に対峙しています。「飛鳥・藤原」最大の寺院で、金堂の南東に配された九重塔は東アジア各国に共通する国家のシンボルとか。軒瓦も大型で軒丸瓦の直径は20cm、軒平瓦の均整唐草文は平城宮のそれのモデルになっているとのことです。
いやはや、なんともりっぱな大官大寺ですが、発掘調査で未完成のうちに火災にあったことを示す痕跡が見つかっています。
この先もう少し距離を歩くため、帰るグループと分かれました。
桜井方面に向かいます。
東池尻・池ノ内遺跡。
このあたりはかつて堰き止められ、池になっていました。磐余の池ではないかともいう説も。
こちらは吉備池。
昔は池はなく寺院が建っていました。
発掘調査の結果、池の東南部に張り出した土壇が金堂跡でその西にならぶ土壇が塔跡と判明しました。
大官大寺の塔は格段に大きいものでしたが、この吉備池廃寺のはさらに大きい塔であったようです。塔基壇が九重塔跡に相当するものであることや、瓦の特徴から639年に建立された舒明天皇の発願による最初の寺、百済大寺と推定されています。天皇発願の寺院はやはりスケールが大きかったのですね。
池の北方には東西に細長い僧房が建ち並んでいました。
ちょうどこの辺りでしょうか。
桜井駅に向かいます。
駅前にならんでいたのぼり。桜井場所?
今回歩いた藤原京。
持統天皇が「春過ぎて夏来たるらし」と詠った都。
池があったり、なかったり。
そもそも「藤原京」の「藤原」はどこから名付けられたの?
知らないことが多すぎる藤原京。
勉強します!