八釣から高家へ

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f:id:narakofu:20230611210953j:imageなんとかお天気持ちそうな、1週間遅れの6月例会スタートです。

橿原神宮前駅で集合。赤かめバスでまず飛鳥資料館まで。

f:id:narakofu:20230611211022j:image資料館の庭にはレプリカの猿石などに混じってこのあとたずねる八釣マキト5号墳が移築展示されています。まずは見学。

 

f:id:narakofu:20230611211036j:imageなかなか大きな石室ですね。床にあった石もそのまま。

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f:id:narakofu:20230611211150j:image高松塚古墳の石室はこんな感じ。

f:id:narakofu:20230611211202j:imageそのほか、しばし見学しました。亀石をかこんで先生のお話に耳を傾けて。 

f:id:narakofu:20230611211221j:image歩いて八釣へ向かいます。

f:id:narakofu:20230611211234j:imageみんな熱心に見てる。八釣マキト古墳。

畑や水田にかこまれています。

f:id:narakofu:20230611211246j:image1・4号墳が移築保存されています。

あとになって写真を見ると、八釣なのか高家の古墳なのか…?

 

f:id:narakofu:20230611211305j:image指先の向こうには何があったのでしょうか。

ここから次の目的地である高家まで登りが続きますので、歩き組とタクシー利用組にわかれました。

タクシー組は先ほどの資料館まで戻ります。

f:id:narakofu:20230611211319j:image向こうに山田寺跡が見えているらしいですが、わかりますか?

f:id:narakofu:20230611211341j:imageこのあたりが明日香村と桜井の境とのこと。

f:id:narakofu:20230611211355j:image雨のあとで緑がきれいです。やはり少し上りですね。

f:id:narakofu:20230611211408j:image景色もすばらしい。桜井はさまざまな表情を見せてくれます。

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f:id:narakofu:20230611211449j:imageいよいよ高家地区に入りました。

f:id:narakofu:20230611211500j:imageタクシー組が来るまで、少し上の春日神社まで行ってみました。

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f:id:narakofu:20230611212211j:image神社への階段を右手に見ながら先へ行くと、役行者関連の祠がありますそうな。仲間が見てきてくれました(わたしは行ってません笑)

f:id:narakofu:20230611211524j:image少し急な階段を上ります。先日の雨で木の葉や枝が落ちています。

f:id:narakofu:20230611211537j:image神社の境内に古墳

があり、開口はしていますが、土が入り込んでいてとても入れません。f:id:narakofu:20230611212225j:image

f:id:narakofu:20230611211547j:imageひっそりとした静かな空間。

f:id:narakofu:20230611211559j:imageタクシー組と合流して、高家ヒラノ2号墳を見学。天井石と右奥隅は破壊されて残存していません。

f:id:narakofu:20230611211613j:imageこのあたりにはこのような古墳が多くあります。

北側を見れば古代には磐余と呼ばれた地域を、西側には飛鳥地域を望むことができるこの高家地区。それらの地域に築かれた古代宮都の造営に深く関わった人々が眠っているのでしょうか。

f:id:narakofu:20230611211624j:image高家が高いところに位置していることがよくわかります。

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f:id:narakofu:20230611211714j:imageさあ、いよいよ長瀬薮1号墳探索です。

f:id:narakofu:20230611211725j:image腰のあたり近くまでの草むらを一列に進みます。

服部先生自ら先頭にたって、竹をつつきながら進んでいきます。

f:id:narakofu:20230611211736j:imageなんとか辿り着きました。

開口部が狭く、うつ伏せに足から這うように進んでいきます。

羨道部が思いのほか長くて先に入った仲間の声を聞きながらようやく玄室へ。

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先陣が入る際にも飛び出してきて驚かされたコウモリですが、中にもいるいる!

上を見ないように、しかし内部は見たい!激しい葛藤!

 

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f:id:narakofu:20230611212118j:image真っ暗で、ライトが頼り。資料には石積みは奥壁が巨石を用いて2段、玄室側壁は3〜4段。羨道側壁は1段もしくは2段で積んでおり、少ない段数で積むことが指向されているとありますが、いやはやじっくり観察する余裕は残念ながらありませんでした。

もったいない。せっかく入ったのに。

コウモリなんてどうしたというんです。

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f:id:narakofu:20230611211809j:image長瀬薮1号墳をあとにしてもと来た道を戻ります。

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f:id:narakofu:20230611211828j:image可憐な花があちらこちらで迎えてくれました。

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f:id:narakofu:20230611211846j:image崇峻天皇陵(倉梯岡陵)です。

f:id:narakofu:20230611211854j:image崇峻天皇陵のすぐ裏手。これまた清らかな小川が流れています。

このあと、久しぶりに先生とはぐれてしまいました!

そんなに離れてなかったはずなのに、前を歩いていた先生たちが見当たらず…

途中で曲がる角があったのですね。

気づかず笑

 

f:id:narakofu:20230611211902j:image行く先々で見かけたテイカカズラの花。

今度迷子になったら、教えてね。

f:id:narakofu:20230611211911j:image曇ってはいましたが、傘をさすことなく日頃の行い(誰の?)のおかげでしょうか、バスにも間に合い桜井駅で解散となりました。

桜井は訪れる先々で表情が変わる。

どっしり構えた古墳。

ひっそりと佇む古墳。

遠い昔を思い起こさせてくれる夢のあと。

近くに暮らす幸せをしみじみ感じました。

 

馬見古墳群 南群を歩く

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f:id:narakofu:20230516152350j:imageすばらしい晴天となりました今回は馬見古墳群の南群を歩きました。

馬見古墳群といえば、北葛城郡河合町、広陵町香芝市大和高田市にまたがる馬見丘陵とその周辺に造営された古墳群で以前訪ねた河合大塚山古墳、島の山古墳、築山古墳、コンピラ古墳、池田遺跡など数多くの古墳が点在していますが、この日はその中でも南群に位置する古墳を訪ねました。

f:id:narakofu:20230516152356j:image近鉄築山駅をスタート。まずエガミ田古墳のある黒石公園をめざします。

f:id:narakofu:20230516152403j:image少し上りですね。

f:id:narakofu:20230516152410j:image住宅地の中の公園に保存されています。

f:id:narakofu:20230516152417j:image訪れたのは平日の午後ですが、いつもは子どもたちが走り回っているのでしょうか。

f:id:narakofu:20230516152425j:image公園の中には歩道のような道があり、そのまわりに3基。ぽこぽこと盛り上がりがあって、それが古墳です。一見すると地肌が見えてちょっと痛々しい感じ?

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f:id:narakofu:20230516152448j:image続いてみささぎ公園に保存されている、モエサシ古墳に向かいました。

f:id:narakofu:20230516152456j:image先ほどの公園とは違うはず。似てるけど。

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f:id:narakofu:20230516152514j:imageこの公園内にも3基の古墳があり、やはりこんもりした盛り上がりが古墳です。

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f:id:narakofu:20230516152623j:image黒石13号墳の横穴式石室が移築保存されています。

f:id:narakofu:20230516152632j:imageこちらは新山古墳です。

馬見古墳群の南東端付近に位置し、前方部を西南に向けた前方後方墳で、古墳時代前期中頃から後半(4世紀中頃)の築造とみられ、馬見古墳群の中では古い古墳です。

f:id:narakofu:20230516152642j:image銅鏡や金銅製竜文透彫帯金具、鍬形石、車輪石など出土。なかでも銅鏡は中国鏡のほかに国産の鏡も多数出土しているとのことです。

またわたしたちが立っているあたり(後方部北)には溝があり、その北側に7基の埴輪棺が確認されています。

もちろん新山古墳に眠る人と関わりある人たち?

f:id:narakofu:20230516152652j:image新山古墳は陵墓参考地で中には入れません。

f:id:narakofu:20230516152701j:image二上山が見えると、方角がわかって一安心。こちらは西谷公園。

水分補給とトイレ休憩。

 

f:id:narakofu:20230516184741j:image公園の端から阿部山1号墳にのぼります。ここは広陵町

f:id:narakofu:20230516152710j:imageこの古墳は前方部が後円部に比べいちだんと低いですが、それはその地形に大きく左右されているものと思われ、築造は6世紀後半とみられています。

後円部中央には木棺直葬の埋葬施設があり、石材を使用した排水施設が施されていました。排水溝には石とともに埴輪片も使われていました。

f:id:narakofu:20230516184750j:image公園におりてきました。

f:id:narakofu:20230516152719j:image道路を渡り、南側の9号児童公園へ。

f:id:narakofu:20230516152729j:imageこちらには先ほどの1号墳も含め、阿部山古墳群の説明板があります。

f:id:narakofu:20230516152739j:imageこちらは入れないのかな?

ロープが張られていますね。

f:id:narakofu:20230516152749j:imageこのまま道なりに進み、城山児童公園に保存されている、別所城山1.2号墳へ。

このあたりは香芝市真美ケ丘。

f:id:narakofu:20230516152800j:image向こう南側が2号墳。手前が1号墳。

f:id:narakofu:20230516152812j:image1号墳は墳丘長約42mの帆立貝式前方後円墳と確認されていますが、わたしはよくわかりませんでした。西北方に張り出し部を持つ平坦面(下段)を形成して、その上に円形平面の墳丘(上段)を築いている とありますが、頭がついていきません。もう東西南北もよくわからない始末。

もっといろんな古墳に足を運んで全体のかたちを理解できるようがんばります。

 

f:id:narakofu:20230516152823j:image2号墳は円墳で、札甲(さねよろい)、鉄剣、鉄刀などの武器、武具が出土していて、なかでも小鉄板を革ひもで綴った札甲は中国製とみられ、他に類例はないとのことです。

築造時期は1号墳(中期前半・5世紀前半頃)より古く前期末(4世紀末)とされ、香芝市内で最も古い古墳です。

f:id:narakofu:20230516152837j:image最後に別所石塚古墳を道路交差点あたりから見学。

この古墳は道路や店舗、自動車教習所の練習場などに囲まれ部分的に残っているという状態です。

f:id:narakofu:20230516152848j:image別所石塚古墳のすぐそばを道路や近鉄電車が走っています。

ずっと昔から利用されてきた道だったのでしょうか。この道に沿って古い古墳が多く残っています。

f:id:narakofu:20230516152856j:imageゴールの五位堂駅

今回は石室内を見学したり、入ったりはなかったですが、興味深いコースをまわりました。

自分の古墳感の幅が少し広がったような気がします。

【活動日誌】大淀・下市の遺跡

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f:id:narakofu:20230416194848j:imageいよいよ新年度がスタートしました。

新しい顔も見えますよ。

23年度年間予定も心躍るラインナップとなってます。

まず4月は近鉄吉野線下市口駅から出発。

雨のため1週間延ばしての例会、今日はなんとか持ちそうか⁉︎

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f:id:narakofu:20230416195101j:imageまず駅から南に向かい、吉野川に架かる千石橋を渡ります。

なかなか長い橋です。

 

f:id:narakofu:20230416195122j:image下を流れる吉野川ではこのあと訪れる古墳にも使われている緑泥片岩が見られます。

f:id:narakofu:20230416195148j:image橋についての説明板がありました。

f:id:narakofu:20230416202830j:image橋を渡って東へ。

途中にある「桧の渡し跡」の石碑。

下市から上市までのあいだにあった4大渡し場のひとつ。

f:id:narakofu:20230416202844j:imageこれはいわゆる名水?

ペットボトルに汲んでいる人を見かけました。

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f:id:narakofu:20230416202908j:image県道から南に入り、上り坂を頑張って登り切ったところに岡峯古墳があります。

f:id:narakofu:20230416202919j:image普段は施錠されていますが、今回も服部先生の事前手配のもと、下市町の職員のかたに開けてもらってゆっくり見学できました。

f:id:narakofu:20230416202930j:image2〜3人ずつ入ります。

f:id:narakofu:20230416202940j:imageこの古墳の石室は緑泥片岩の割石を積み上げていて、奥壁には床面から1.4mの高さのところに石棚があり、その下には板石を組み合わせた石棺が安置されています。

この華奢な石材の石棺は底がなく玄室の床にも見られる拳サイズの礫がありました。

そのほか鉄釘の出土もあることから、玄室中央部に木棺の埋葬も考えられるとのことです。

 

f:id:narakofu:20230416202950j:image玄室の石棚や玄室前道など岩橋型石室の特徴を備えています。

そのほか、金銅装単鳳環頭大刀や銀象嵌のある金銅装黒漆塗大刀など珍しい副葬品も出土しています。

f:id:narakofu:20230416203003j:image岡峯古墳から県道に下り、またまた東へ。

f:id:narakofu:20230416203016j:imageちょっとひとやすみ。

先生は少し離れたところで、スマホではなく地図を確認されてます。

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f:id:narakofu:20230416203040j:imageしばらく歩いて…

f:id:narakofu:20230416203051j:imageゆるやかな坂道を登ると…

f:id:narakofu:20230416203100j:imageその名もかわいい野々熊古墳

こちらは近くには行けませんが、この向こうに存在します。

f:id:narakofu:20230416203113j:image来た道を戻り、橋を渡って川の北側に向かいます。

f:id:narakofu:20230416203125j:image向かいの山の真ん中より少し上のあたりに次のポイントが。

そんなに登るの⁉︎

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f:id:narakofu:20230416203148j:imageその前にトイレを拝借。

飲み物も補給しました。

f:id:narakofu:20230417150052j:imageかなりな急坂です。

f:id:narakofu:20230417151340j:imageこれはキツいかも。みんな疲れてる?

f:id:narakofu:20230417151357j:image槙ヶ峯古墳まで、ほんの340m(服部先生談)

f:id:narakofu:20230417151408j:image地区の共同墓地を抜けてその先。

この墓地内の通路がこれまたかなりの急な坂。

f:id:narakofu:20230417151421j:image頑張って歩きます。

f:id:narakofu:20230417151454j:imageかなり登りました。小さく見えているのが、先ほどの橋?

f:id:narakofu:20230417151507j:image墓地を抜け、木立の中を歩く。

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f:id:narakofu:20230417151541j:image槙ヶ峯古墳の墳丘

f:id:narakofu:20230417151558j:imageさあ、順に入ります。

こちらは1人ずつ。

f:id:narakofu:20230417151608j:imageあたりに緑泥片岩なども見られました。

f:id:narakofu:20230417152051j:imageよっこらしょ

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f:id:narakofu:20230417152115j:imageどれどれ

f:id:narakofu:20230417152259j:imageこの古墳も奥壁側に石棚が設けられている「岩橋型石室」です。コンパクトながらじっくり観察できます。

f:id:narakofu:20230417152311j:image内部はこんな感じ。

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f:id:narakofu:20230417152340j:image周辺は竹藪が近いこともあり、今の季節タケノコがあちこちから頭を出していて、またそれを目当てに動物が踏み荒らした跡が見られました。

f:id:narakofu:20230417152351j:image最後に稲荷神社古墳を見学。

境内の階段横に開口しているこの古墳は羨道部の床が玄室より一段高く造られているが、玄室と羨道部の天井の高さはほぼ変わらないという特徴を持つ石室です。

f:id:narakofu:20230417152401j:imageまた、石室内は板石をこまかく水平方向に積んでいますが、最下段は大きめの石材を縦に並べています。

この古墳も隅々までじっくり観察できました。

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f:id:narakofu:20230417152438j:image稲荷神社古墳から降りたところ。

f:id:narakofu:20230417152451j:image越部駅まで帰ってきました。

f:id:narakofu:20230417152459j:image向こうに吉野川が流れています。

f:id:narakofu:20230417152506j:image県内に数少ない石棚を持つ石室。

今回はそのうち二つを見学しました。(三里古墳は2021年に見学)

今はのどかな山里のこの地域。古墳の被葬者が生きたころは遠く紀伊和歌山とどのように関わっていたのでしょうか。

またまた大きく地図を広げて考えてみたいと思いました。

 

 

 

記念冊子 つくりました

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サークルのこれまでの歩みをまとめた冊子ができました。

 

この4月から5年目に入る「考古学サークルなら」。

この4年間に実に多くの遺跡を巡りました。

服部先生の細やかで分かりやすい解説、案内のもと、毎回充実した時間を過ごしてきました。

幸せなことに、大和にはまだまだ数多くの遺跡があります。

 

しかし、冊子の中で先生は、以前と様子が激変してしまった遺跡もある ともおっしゃっています。

どっしり構えている古墳もありますが、

近い将来見学が困難になってしまう遺跡も少なくないでしょう。

 

今年度も健康に気を配りながら、楽しく遺跡を巡り、大和の歴史に親しみたいと思います。

 

この冊子は非売品です笑

【公開講座】桜井古墳三昧【後編】

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桜井古墳三昧、後編!

f:id:narakofu:20230321115826j:imageなんだか、よそのお宅の裏を失礼しているようですが、艸墓古墳への道でございます。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、小さな案内板はあります。

f:id:narakofu:20230321204531j:image開口部はこんな感じ。

f:id:narakofu:20230321115845j:image艸墓内部。

みんなで石棺を取り囲んでいます。

f:id:narakofu:20230321115859j:image少しかがんで内部に入ると迫力ある刳抜式家形石棺がどーんと安置されています。両側は狭く1人通るのが精一杯ですが、奥は少し幅がありここに座ってかどうかわかりませんが、穴を開けて盗掘したんですね。

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f:id:narakofu:20230321204620j:image住宅地がすぐそこ

f:id:narakofu:20230321120025j:imageコロコロ山古墳

なんともかわいらしい名前の古墳です。

土地区画整理事業の関連でこの場所に移築保存されています。

f:id:narakofu:20230321120218j:image写真右手はメスリ山古墳の墳丘の裾。

f:id:narakofu:20230321120316j:image3段築成の墳丘がわかるはず?

f:id:narakofu:20230321120330j:imageなかなかの上りです。

f:id:narakofu:20230321120407j:image途中何度も滑る人続出。雨は止んだもののやはり山道は注意が必要です。

f:id:narakofu:20230321120425j:image8個の天井石で蓋されている竪穴石槨の埋葬施設を見学。

この周囲にあの巨大な円筒埴輪も並んでいた⁉︎

f:id:narakofu:20230321120438j:image先生にいろんな質問が集中。

どちらが北ですか?

f:id:narakofu:20230321120530j:imageこのあたりには副室が埋まっています。

そちらは埋葬の形跡がなく、鉄製弓矢や鉄槍(212本以上!)などの副葬品が入れられていました。

f:id:narakofu:20230321120540j:image♪さあ、次はどこかな?

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f:id:narakofu:20230321120609j:image談山神社の鳥居

f:id:narakofu:20230321120618j:image説明板にある町石のひとつ。談山神社まで道標として建てられていました。今でもいくつか残っているとのことです。

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f:id:narakofu:20230321120637j:image兜塚古墳

こちらも雨の後は慎重に。

f:id:narakofu:20230321120646j:image素朴な家形石棺。

阿蘇凝灰岩で作られています。

かわいいな。ピンク石。

わたしもこれがいいですね。

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f:id:narakofu:20230321120829j:imageさあ、残るはあと3つ!

f:id:narakofu:20230321120839j:image秋殿南古墳

f:id:narakofu:20230321120847j:imageこちらはまだまだ開口部は余裕があります。

先住民の方々がいらっしゃいます。(コウモリ、カマドウマ)

f:id:narakofu:20230321120856j:imageいったん道路に戻り、東へ。

f:id:narakofu:20230321120905j:imageこうぜ1号墳。東石室。

かなり狭い開口部。勇気を出して入ります。メンバーが持参してくれたブルーシートが大活躍!

f:id:narakofu:20230321120911j:image西石室も入りましたが、写真がない!撮りそびれました!

 

f:id:narakofu:20230321204223j:imageと思ったらありました。一枚だけ!

西はいっそう狭いです。周りは見ません。頭上にはコウモリさんが小集団でぶら下がっていました。

コウモリを怖がりすぎ。

 

両石室とも中で先生の解説をききましたが、コウモリが気になって…

f:id:narakofu:20230321121004j:image今回は安倍一族に関わる遺跡を中心に巡りました。

みなさん、狭い開口部をものともせず、どんどん石室の中へ。

雨も気づくと止んでいて、古墳満喫の1日となりました。

おつかれさまでした!

【公開講座】桜井古墳三昧【前編】

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小雨の残る中、「服部先生と歩く桜井の古墳」スタートしました。

f:id:narakofu:20230321114650j:image参加申し込みいただいた8名のみなさんと我々メンバーから6名、そして服部先生の総勢15名で桜井駅南口を出発。

古墳三昧はじまりです。

f:id:narakofu:20230321115210j:imageまず、駅からまもなく南に下ったところ。

先日の例会で歩いた横大路が伸びてきています。

長谷寺やお伊勢参りにこの道を歩きました?

f:id:narakofu:20230321115224j:image傘はいるかな?どうかしら?

f:id:narakofu:20230321115240j:image若桜神社

 

f:id:narakofu:20230321115256j:imageこの日は先生には名札をつけていただきました。

この名札を目印に歩いたり、質問したり。

f:id:narakofu:20230321115400j:image「桜井」の地名由来との伝承もある井戸。

f:id:narakofu:20230321115425j:imageこの辺りは磐余地方と呼ばれ、神功皇后をはじめ、履中天皇用明天皇が都を置いたとされています。この地の重要性がうかがえますね。

f:id:narakofu:20230321115439j:image上之宮遺跡

大型掘立柱建物群や園池遺構が検出されたほか、木簡、琴柱、べっ甲など貴重品が出土していることから、豪族や位の高い人物の邸宅とみられています。

この辺りの地名が上之宮であることや聖徳太子が幼少、青年期を上宮(かみつみや/うえのみや)で過ごしたと伝えられていることから、聖徳太子が住んでいたのでは?という説もあるそうですが、さて。

f:id:narakofu:20230321115454j:imageこちらは谷首古墳です。すぐ前の道を車が走っています。

f:id:narakofu:20230321115507j:image開口部の石が片方抜き取られていて天井部分が落ち、いっそう入り口が狭くなっています。

よいしょ、失礼します。

f:id:narakofu:20230321115520j:image玄室天井の高さは約4m。

凝灰岩の小片が見つかっていて石棺が安置されていたと推定されています。

内部は高さ、広さとも圧巻です。

f:id:narakofu:20230321115548j:image安倍寺跡。

まもなく雨も上がるとの予報ですが、ここではまだ傘が必要です。

西に塔と東に金堂、それをめぐる回廊跡、北側には講堂と考えられる遺構が出土。法隆寺式の伽藍配置であることが明らかになりました。

安倍文殊院の前身にあたるお寺。

f:id:narakofu:20230321115604j:image安倍寺は平安末期衰退し、鎌倉時代に現在の文殊院に移りましたが、その建立用の瓦を焼いたのがこの安倍寺瓦窯とみられています。

鎌倉時代の平窯式とよばれる窯が五基保存されています。

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f:id:narakofu:20230321115635j:image文殊院西古墳

安倍山丘陵から西北に派生する尾根を利用して築造されました。

とても美しい石室で、玄室部は長方形に切り揃えられた石が5段積み上げられています。側壁は縦線を線刻し2石に見せるなど、こだわり感満載の古墳です。

 

f:id:narakofu:20230321115648j:image文殊院東古墳

西古墳より少し古いようです。

みなさんなごやかに先生の解説に耳を傾けています。

こちらは入れませんが、中には井戸があり、かつてはこの井戸の水でお習字の練習をすると上手になったとか。都市伝説。

もともと、この地域は安倍一族のお墓だったのですね。

f:id:narakofu:20230321115702j:image雨は上がりました。

東の山はご覧のとおり。

後編へ続く!