【公開講座】飛鳥、再発見

f:id:narakofu:20231103185903j:imageさわやかな秋空のもと、秋の公開講座です。

先生は今回のコースについて、飛鳥の里はおなじみのところだからとおっしゃっていましたが、なんのなんの。たいへん充実した一日となりました。

 

先生から今日のコースを簡単に説明いただき、橿原神宮前駅東口をスタート。

まっすぐ東に進みますが、すぐの交差点でさっそく先生のお話。

なになに?この交差点どうかした?

f:id:narakofu:20231103185917j:image東に延びた道路はかつて安倍山田道と呼ばれ、ここで下ツ道と交差しています。「丈六」と表示のあるこのあたりは交通の要衝であり、軽の衢(ちまた)として重要な地でありました。

f:id:narakofu:20231103185924j:imageよくある交差点に見えますがその昔、市も開かれ人々に広く知らしめることがあれば、この場所を用いて各種のイベントが行われたとのことです。

はなやかなことも、ブラックなことすらも。

f:id:narakofu:20231103185931j:imageこの場所は軽寺があったと推定されています。

またこのあたりは懿徳天皇をはじめ孝元天皇応神天皇の宮が営まれたとのことです。

f:id:narakofu:20231103185938j:image資料を見ながら、先生の説明に耳を傾けて。

その場所に立っても、往時をはせることはなかなか難しい。

f:id:narakofu:20231103185947j:image石碑もあります。

f:id:narakofu:20231103185956j:image先ほどの軽寺あとには今は別の寺院が。

f:id:narakofu:20231103190004j:imageさて、丸山古墳です。まず北の方から見学。

ちょうど前方部北側から全体を見渡しています。

国内で6番目、奈良県内では最大の規模を誇るこの古墳。見ごたえあります。

なんて大きいの!まるで丘。たしかに墳丘でした。

f:id:narakofu:20231103190012j:image前方部裾から墳丘にのぼりました。広さを実感。

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f:id:narakofu:20231103190032j:imageすばらしい眺望。

f:id:narakofu:20231103190041j:imageずっと向こうの山々。なんだったかな。

f:id:narakofu:20231103190053j:imageいったん降りて来たみたいです。

 

 

f:id:narakofu:20231103190104j:image説明板を見ながらの先生の説明。

被葬者についてはさまざまな説がありますが、これだけ長い間研究されてきてもわからないのですね。長い年月が経っているからわからないのかしら。

f:id:narakofu:20231103190122j:image後円部へのぼります。

f:id:narakofu:20231103190140j:image少し急なので注意が必要。頼りになるメンバーのおかげで全員無事のぼりました。

こちらの石室は1991年、なんと偶然開口し、内部が明らかとなりました。そんなこともあるのですね。

今はまた閉じられています。

f:id:narakofu:20231103190156j:image植山古墳に行く前にこちらの神社に寄りました。

鳥居には「八咫烏神社」とあります。

f:id:narakofu:20231103191343j:imageちょっと失礼します。

f:id:narakofu:20231103191353j:imageみんなが見ているのは…

f:id:narakofu:20231103191405j:image本殿というのでしょうか?

そちらへの階段の手前の石。

これが植山古墳の西石室にあったとされる扉石。

本来はもっと長く、後にカットされたようです。くさびのあとなども見られました。どういうご縁でこの場所に?

f:id:narakofu:20231103191416j:imageブルーシートの下が植山古墳です。

推古天皇の遺言により、息子竹田皇子の墓に合葬されたとの記事が『古事記』にあり、古墳の年代や出土品などからこの古墳が推古天皇の初葬墓と推定されています。

阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜式家形石棺が置かれていたようで、やはり推察通り?

遠く阿蘇から運ばれたピンク色の石。

特別な棺だったのでしょうね。

f:id:narakofu:20231103191437j:image次に訪れたのは『菖蒲池古墳』

石室まで草を踏みしめた道を進みますが、まわりはけっこうな草が伸びていました。

その道も斜めになっていて歩きづらく、転んでしまったメンバーも。大事に至らずよかったです。

f:id:narakofu:20231103191453j:image扉のすきまから中を拝見。奥にもう一基同様の石棺が見えます。

f:id:narakofu:20231103191508j:imageこの看板を目印に。

f:id:narakofu:20231103191519j:image菖蒲池古墳のすぐ近くに小山田古墳があります。

先生から説明。

いただいた資料によるとこの古墳も被葬者について説がいくつか。

f:id:narakofu:20231103191537j:image学校内とのことで見学はできません。

わたしは発見当時説明会に出かけましたが、実に多くの人が訪れていたのを覚えています。古い時代に興味を持つ人が多いのだなと思いました。

f:id:narakofu:20231103191551j:image飛鳥の秋

f:id:narakofu:20231103191605j:image野口王墓古墳。

天武・持統天皇陵とされています。

ちゃっかり先生の説明を聞いている観光客もいましたよ。

 

f:id:narakofu:20231103191632j:image野口王墓古墳の裏側にまわりました。

 

f:id:narakofu:20231105091750j:image後ろ側はこんな感じ。墳丘のようすがわかるような、どうなのか?

 

f:id:narakofu:20231103191647j:imageここでも先生から説明をうけました。

f:id:narakofu:20231103191704j:image続いて『鬼の俎、雪隠』。

これは鬼の雪隠。

横口式石槨の蓋石が転落したそうで、奥の斜めの部分が天井。

これがこの上の道のそのまた上から落ちた?

 

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f:id:narakofu:20231103191730j:imageみんなが見ているのは先ほどの鬼の雪隠の床石。鬼の俎。

みんな何を考えているの?

f:id:narakofu:20231103191742j:image扉石を固定するための穴や後の世に石材として利用するための鑿の穴を確認できます。

 

f:id:narakofu:20231103191757j:imageこのあたりには、また別の俎石があったらしい。

f:id:narakofu:20231103191812j:image向こうの墳丘がカナヅカ古墳です。

切石を用いた横穴式石室があったとのことです。

f:id:narakofu:20231103191846j:image古墳に向かう道の周りは見事な野菜たちが育っていました。当時の人々はもちろんこんな白菜は食べてなかったでしょうね。

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f:id:narakofu:20231103191910j:image梅山古墳です。

f:id:narakofu:20231103191921j:imageうーん、良いお天気。

さあ、講座もいよいよ終盤です。

前方部を西に向けて築かれた前方後円墳で『三方山囲み』という飛鳥地方の古墳の特徴を持ち、西、北、東側には丘陵が迫っています。先ほどのカナヅカ古墳も同様で、尾根の南側を削って築造されたそうです。

f:id:narakofu:20231103191936j:image梅山古墳のすぐ西、吉備姫王墓内。鉄柵の向こうに猿石と呼ばれる4体の石像があります。

高取城や橘寺でも似たような石像に出会えます。

そんなに古いものと思えない表情の石像たち。

 

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f:id:narakofu:20231103192006j:imageさあ、ついに飛鳥探訪終わりです。

改めて飛鳥地方を服部先生のご案内で巡り、またまた奥深い飛鳥の歴史に惹かれました。

何度か訪れ、聞いたことのある遺跡などには足を運んだつもりでしたが、まだまだ入り口付近に立ったばかりです。入ってもいない。

これからは時間を見つけてもっともっと訪ねるつもりです。

そしてもっと親しみたい。

 

f:id:narakofu:20231103192021j:imageコスモスに見送られ、飛鳥駅へ。

f:id:narakofu:20231103192037j:image解散後、有志で岩屋山古墳を見学。

f:id:narakofu:20231103192049j:image整美な横穴式石室。

訪れる者を魅了します。