曇りの予報ではありましたが、なかなかの好天に恵まれた11月の講座。
近鉄奈良駅、行基さん前に集合。あまりの人出に早々に出発しました。
まず向かうは若草公民館です。
東向北商店街を抜けてきたまち界隈を北へ。
静かな住宅街に目指す公民館はありました。
中に入って、多聞城に関するパネルを拝見します。
立派で美しいお城と伝わる多聞城。
発掘調査によって井戸や排水溝などが確認され、出土した瓦の多くが築城の際に新たに焼かれたもので、城郭専用瓦の始まりと評価されています。
関連のパンフレットなどいただいて、さあ多聞城跡、若草中学校へ。
学校内はもちろん立ち入り禁止ですが、校門入ってすぐ右手にたくさんの墓石や石塔が集められています。
築城に当たって近くの寺院から徴発され利用したとのことで出土したものが同校のPTAなどの手により供養されているそうです。
聖武天皇陵です。
東大寺によってお祀りされていたようで、眉間寺の存在が伝わっています。
眉間寺は松永久秀の多聞城築城に際し、その多くが破却されたと考えられていますが、元禄期、文久のそれぞれ修陵に際して眉間寺の裏山が聖武天皇陵とされています。
こうのいけ運動公園でしばし休憩。
数年前に閉園した遊園地横の細い道を登ります。かなり急坂。足取りが重い。
登り切る少し前に東方向に道がひらけています。
那富山墓です。
柵で囲まれていますが、隙間から隼人石と呼ばれる動物を線で掘った石を見ることができます。
4体ある石のなかで、ふんどし(?)姿のネズミの姿はしっかり確認できます。
先ほどの道に戻り、北へ登り切って左に折れ西へ。
黒髪山神社を右手に歩き、突き当たりを右、また突き当たりを右に下って、信号を左。しばらく歩くと左に道があり行くと元正天皇陵です。
小奈辺古墳を元正天皇陵といわれた時期もありましたが、文久の修陵でこの地と修補されました。
道路を渡り少し歩くと元明天皇陵です。
こちらも宇和奈辺古墳をそれといわれていた時期もありましたが、やはり文久の修陵でこの場所となりました。
箱石(函石)が伝わっており、それによって元明天皇陵とされているようです。
聖武天皇陵から元明天皇陵まで佐保路と呼ばれる地域を歩きましたが、この辺りは天皇関連のお墓が多数あるようです。
当時も中心部から少し離れた、天皇家の人々が眠るにふさわしい静かな場所だったのでしょうか。