今回は吉野の遺跡です。
奈良県の約半分を占める吉野地方。
はるか遠い昔から人々が暮らし、そして天皇たちが何度も訪れた吉野。
粛々とそびえる山々とその谷間を流れる清い吉野川。
天皇たちはなにを求めて幾度も吉野を訪れたのでしょうか。
集合は大和上市駅。
11時48分の電車を降りたのは3人。
50分の集合時間にギリギリです。
ほとんどのメンバーは先に来て各自おにぎりなどお昼を済ませていました。
55分発のスマイルバスに乗り込み、宮滝まで。
宮滝のバス停から少し坂を登ったところに吉野歴史資料館があります。
大きな栗の木があり、栗の実が出迎えてくれました。
こちら館内の写真は個人利用のみOK。
残念ながらここには載せられませんが、吉野周辺で発掘された遺物などが展示されています。
この地域特有のくの字のラインをもつ土器や、宮滝の離宮の模型など。
建物の窓ガラスには向こうに見える山々に合わせてその名前が記されています。
(左に三船山、右手に象山。その間が象谷。)
資料館を出て、宮滝遺跡へ向かいます。
遺跡は発掘後埋め戻されて今はテープでその跡を教えてくれています。
吉野川のすぐそば。
水かさが増えたりしたら、その音が怖いくらい。
この場所に立ってみると、今は近くを道路が走ってはいますが、確かに聖なる力が満ちていそう。
その力を取り入れるために、天皇たちはこの地を訪れたのでしょうか。
持統天皇はやはり温泉も浸かられたとか?
当時からあったのかなあ、宮滝温泉。
吉野川に降りてみます。
びっくりするほどのきれいな川の水。
そしてはるか昔からそう変わらないと思われる河岸の岩。
今も昔も人々の心はこの吉野に惹かれているようです。
吉野川を渡り、「夢のわだ」。
万葉人が歌に詠んだ象の小川から流れ落ちる、清い水。
夢のわだって結局何を指すのでしょう?この画像で言うと左下から吉野川に流れ込む、小川の水のことを指しているのか…?わだって平仮名?
日々慌ただしく暮らすわたくし。
この景色を見て歌を詠む何かを感じることはできませんでしたが、また改めてゆっくり訪れたいものです。
少し道を登って桜木神社へ。
この道をずっといくと奥の千本につながるそうな。
屋形橋「木末橋(こぬればし)」を渡ります。
即位をめぐる対立から吉野に身を隠した大海人皇子が大友皇子の伏兵に攻められた際、この地の桜の大木に身を潜めて難を逃れたと伝わるその桜とゆかりの深い古社。
静かな佇まいがいっそう歴史を感じさせます。
長い歴史と自然の力を感じさせる吉野。
現代を生きる私たちもかつての天皇たちと同じく、その魅力に惹きつけられたことは確かです。
前もって予約しておいた「こばしの焼きもち」
厚かましくお願いしたところ、快く帰りの電車に合わせて駅まで配達してくださいました。
感激しました。メンバーみんな喜んで持って帰りました。
ありがとうございました。