秋の公開講座は飛鳥を歩きます。
おなじみのエリアではありますが、服部先生のていねいな解説とともにまわる飛鳥はまた違った側面が見えてくるかも?
お昼をはさんで秋の一日、ご一緒に飛鳥を訪ねてみませんか。
参加希望のかたはお気軽にメールなどでご連絡ください。
参加費は500円です!
秋の公開講座は飛鳥を歩きます。
おなじみのエリアではありますが、服部先生のていねいな解説とともにまわる飛鳥はまた違った側面が見えてくるかも?
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参加費は500円です!
すばらしい秋晴れのもと、10月例会は畝傍御陵前駅東口から出発です。
今回は16年と短命ながら、歴史的に重要な転換期となった舞台、藤原京周辺をじっくりまわります。
まず本薬師寺跡へ。このお寺は天武天皇が皇后の病気回復を願って発願、造営を開始。その後持統天皇が継承して双塔式伽藍の寺院として完成しました。まさに愛の寺。わたしは西の京にある薬師寺と勘違いしていました。
金堂あとに柱のりっぱな礎石が多数残っています。
金堂あとから西塔跡へ向かいます。
こちらにも礎石が残っていました。
このあと、向こうに見える東塔あとへ。
まわりは金色に輝く稲穂が稲刈りを待つばかり。
心礎にはホテイアオイが!
今日はもりだくさんです。
こちらは藤原宮の瓦を焼いたとされる日高山瓦窯です。
平窯、窖窯(あながま)合計6基の瓦窯が発見されています。大規模な瓦の生産体制が整えられ、藤原宮の造営を支えました。
日高山瓦窯跡より朱雀大路のながめ。
朱雀大路。
向こうに耳成山が見えています。
説明板を見ながら、先生の解説。ふむふむ、なるほど。
朱雀大路の今。
藤原宮跡資料室を見学。そして休憩。
熱心に何についてお話中?
ここでは、藤原宮の瓦を見ることができます。
藤原宮の瓦は先ほどの日高山瓦窯だけではなく、讃岐や淡路島、近江など奈良盆地外からも運ばれていました。
水分補給。
香久山です。
大官大寺へ向かいます。秋ですね。
大官大寺跡。
先ほどの本薬師寺とは朱雀大路をはさんで東西に対峙しています。「飛鳥・藤原」最大の寺院で、金堂の南東に配された九重塔は東アジア各国に共通する国家のシンボルとか。軒瓦も大型で軒丸瓦の直径は20cm、軒平瓦の均整唐草文は平城宮のそれのモデルになっているとのことです。
いやはや、なんともりっぱな大官大寺ですが、発掘調査で未完成のうちに火災にあったことを示す痕跡が見つかっています。
この先もう少し距離を歩くため、帰るグループと分かれました。
桜井方面に向かいます。
東池尻・池ノ内遺跡。
このあたりはかつて堰き止められ、池になっていました。磐余の池ではないかともいう説も。
こちらは吉備池。
昔は池はなく寺院が建っていました。
発掘調査の結果、池の東南部に張り出した土壇が金堂跡でその西にならぶ土壇が塔跡と判明しました。
大官大寺の塔は格段に大きいものでしたが、この吉備池廃寺のはさらに大きい塔であったようです。塔基壇が九重塔跡に相当するものであることや、瓦の特徴から639年に建立された舒明天皇の発願による最初の寺、百済大寺と推定されています。天皇発願の寺院はやはりスケールが大きかったのですね。
池の北方には東西に細長い僧房が建ち並んでいました。
ちょうどこの辺りでしょうか。
桜井駅に向かいます。
駅前にならんでいたのぼり。桜井場所?
今回歩いた藤原京。
持統天皇が「春過ぎて夏来たるらし」と詠った都。
池があったり、なかったり。
そもそも「藤原京」の「藤原」はどこから名付けられたの?
知らないことが多すぎる藤原京。
勉強します!
9月に入ってもまだまだ猛烈な暑さが続いている今年の夏。
ならこふはなんと体調不良のため、例会を涙の欠席!
しかし、頼りになるメンバーが写真を撮って来てくれましたので公開します。
コースの終わりに今話題の古墳にも立ち寄ったようです。うらやましい!
まず先生から今日の行程を確認ですね。
向こうに何があるのかな?
瓦窯跡ですね。
平隆寺の瓦を焼いていたのでしょうか。
雨が降って来たようです。
藤ノ木古墳の石棺レプリカ。
上から見てもやはり少し、一方が広がっているそうです。
以前藤ノ木古墳内部を見学の際、職員の方に質問して、スッキリしました。
これが今話題の古墳ですね。
見たかったなあ。
先日も軽くお知らせしましたが、10月28日(土曜日)に秋の公開講座を予定しています。
探訪先などはただいま、服部先生が奮闘中。
興味のある方はぜひ、どしどしご参加ください!
服部先生の解説はとてもわかりやすくて評判です。
ならこふも10月の定例会、公開講座ともに参加します!
前回の様子
春に開催しました、服部先生と歩く遺跡巡りをこの秋にも企画しています。
日程は
10月28日土曜日 雨天決行(荒天の場合は中止)
行き先などはただいま検討中です。
詳細は決まり次第お知らせいたします。
お楽しみに!
8月は例年博物館見学となっていますが、今年はなんと「近つ飛鳥博物館」!
連日猛烈な暑さが続く2023年夏。
なんとかメンバーが集まりました。
ご存知のように、この博物館は電車利用での訪問のハードルが少々高く、しかしながら我がメンバーは早めに喜志駅に集まり、お昼を済ませて余裕でバス停に集合しました。
何度か訪れているメンバーもバス利用は初めてということで、終点の「近つ飛鳥博物館前」のバス停から博物館までの道のりに軽く衝撃を受けることに!
車で参加メンバーの救いのお迎えもあり、全員無事博物館に到着。
館内は写真撮影可能な場所も多いのですが、今回は控えめに…
終盤、みんなゆったり座って、次々流れる見応えあるビデオを鑑賞。決してウトウトしてません。
そのあと、服部先生に2、3質問。
まず館内入ったところに置かれていた赤い石棺。
シャープな仕上げに驚きましたが、当時の技術ということ。石室内に設置後その場で仕上げたようです。手が切れそうな仕上がりになってます。
また初歩的な疑問で恥ずかしながら、「長持形石棺」と「家形石棺」の違い。
長持形石棺は組合せ式で頭と足側にあたるところ、短側石の上部と天井石がアーチ型になっている。
なるほど。スッキリしました。
そして竪穴式石室の空間問題。
黒塚古墳など見学経験はありますが、完全に埋まっている竪穴式石室の内部はどうなっているのか、満ち満ちに詰まっているのか疑問でした。
少しは空間があるとのこと。
でも実際に見ることはなかなか難しいようですね。
そんなこんなで今回「近つ飛鳥博物館」。
館内は涼しく見学しました。
見学後バス停まで戻る途中梅林から大きな階段が見えました。
この次はシーズンを選んで近くの古墳などもじっくり探訪したいものです。
またどこかの遺跡、古墳で今日学んだあれこれを思い出してニッコリしたいと思います。
駅の案内にもある通り、このあたりはまさに古墳の密集地。古墳時代前期後葉から中期初葉の古墳が集中している地域です。
今回は佐紀古墳群の中でも西群を訪ねました。
この日は、見学者もお迎えしてにぎやかに出発。
しかし暑い!
駅からまず北へ。
近鉄の踏切を渡り、つきあたりの八幡宮を左方向に。山裾をぐるっと進むと右手にスロープ。それをのぼると五社神古墳の拝所があります。
墳長267mはまさに森。このあと東側にまわりますが、後円部の北にも森が続き、より一層大きく見えます。
何を見てるのかな?
さわやかに見えていますが、かなりの蒸し暑さでした。しばらく民家のあいだを歩き、佐紀石塚山古墳へむかいます。
途中こんもりとした陪塚がいくつか確認できます。
みんな茹っている⁉️
佐紀石塚山古墳の渡土堤です。後円部の濠の一部が土手になっていて古墳とつながっています。柵が設けられていて、中にはもちろん入ることはできません。
佐紀石塚山古墳の拝所。なんだか五社神古墳と似てる?
この木立は佐紀石塚山古墳の南に隣接している佐紀高塚古墳です。
少し戻って佐紀石塚山古墳の西南。
佐紀御陵山古墳でひとやすみ。
途中、地元に住むメンバーがこの竹藪の向こうにかつて勢力を誇っていた超昇寺関係のお城があり、薬研堀のあとがあると教えてくれました。
こちらの方がわかるかな。
先生の話をきいているこのあたりも猫塚古墳、衛門戸丸塚古墳、瓢箪山古墳に囲まれた場所です。
向こうに猫塚古墳。
瓢箪山古墳の墳丘へは衛門戸丸塚古墳とのあいだの通路を西に進むとのぼることができます。
瓢箪山古墳を左に見ながら北方向へ進みます。
奈良時代にはこのあたりに松林苑という苑地が作られ、離宮、庭園、倉庫などがあり、天皇の臨席する宴もしばしば催されました。その周囲にめぐらせた築地塀の跡がちょうどこの道に沿っているとのことです。
なにを話していたのかな?思い出せません。
自分が思っている以上に暑さにやられていたようです。
奈良時代の瓦⁉️
このへんも松林苑?
向こうにみえている緑が塩塚古墳。松林苑では古墳も利用され、墳丘や周濠を活かしつつ施設が作られていたと考えられています。
墳丘に月見台などがあったとか?
オセ山古墳です。以前地元のメンバーに案内してもらいました。
この奥のみどりのなかに横穴墓があるとのこと。また涼しくなったら、ぜひ見学したいものです。
添御縣坐神社(歌姫神社)に立ち寄りました。
由緒ある神社で奈良に6つある添御縣神社のひとつです。
この日はここで解散。歩いて最寄りの駅に向かうひと、バス利用のひと。
わたしは歩いて帰宅しました。
思ってたより疲労していたようです。
みんな大丈夫だったかな。
誰かに笑われるかもしれないけど、来年は7月例会先生に講義をお願いしようかな。
おつかれさまでした。