忍阪の後編です。
越塚古墳を後にして、次は赤坂天王山古墳です。
ここは開口部がかなり狭いので、1人ずつゆっくり失礼します。
服部先生もヨイショ。
さてさて中はどうなっているのかな?
このあたりには10基以上の古墳があるといわれています。
なかでも大きいのが、この1号墳です。こちらは一辺約50mの三段築成による大型方墳で、石室は墳丘の南端より少し奥まったところに開口していますが、開口部は50cmほどの隙間しかなくて、羨道に土砂が流れ込んでいます。
膝や肘をつかないと入れませんね。
カマドウマのことは一旦忘れます。
中で先生の説明!
石室は広く、奥壁や側壁は基本的に3段の石積みで、天井部に向かって持ち送りさせながら積まれています。特に奥壁、前壁は内側に傾斜していて、先ほど見学した越塚古墳とは異なります。
そしてなにより玄室奥よりに安置されている刳抜式家形石棺。
大きいです。
蓋石は6個の縄掛突起を持ち、長辺2.4m、短辺1.7m、厚さ約0.6mとどっしりした石棺です。
6世紀末から7世紀初め頃の築造と考えられていて、巨大な石室や家形石棺などから、有力な人物が葬られているには間違いないとか?たぶん。
説明が済んで、順次出ますよ。
まだまだここに居たいような、早く出たいような。
実際は速くないんですが、すごい勢いで這い出てるように見え…
1号墳の周りを回ります。
この向こうに2号墳、3号墳と位置しています。
人里に戻りました。
忍坂街道です。
忍坂道伝承地の石碑が立っています。
この坂をのぼると石位寺です。
この収蔵庫の中に石仏が安置されています。
まるでおにぎりのような三角形の石に三尊像が浮き彫りに彫られていて、一部には彩色、漆も残っています。
いつまでも見ていたい、優しいやわらかな感じのするほとけさまです。
ただ写真はNGということで、実際みにいってください。
現在このお寺は無住ですが、近隣住民のかたがたで管理され、大切に守られています。
収蔵庫横の建物でビデオを見せていただきました。
拝借したお手洗いがとてもきれいで気持ちよかったのも印象的でした。
石位寺を後にして段ノ塚古墳へ。
なにやら曰くありげな石造物…なに?
段ノ塚古墳(舒明天皇陵)です。
こちらは下からサクッと拝観して、先に進みます。
またまた緩やかな上り。
この古墳は立ち入ることはできませんが、周辺から墳丘を観察することはできます。
台形状の方形壇の上に八角形の墳丘をのせたかたちです。
この忍坂に築かれた古墳としては卓越した規模で且つ八角形という特異な墳丘を持つことから、舒明天皇の押坂内陵である可能性は極めて高いとのことです。
鏡女王墓に向かう道の横を流れる小川に立つ歌碑。
段ノ塚古墳の墳丘を横手から見る。
実際に見ても三段積みの上に八角形はちょっと、大きすぎて全体がつかみにくいです。
続いて鏡王女墓。
こちらは鏡王女が、藤原鎌足の正室となった関係で、談山神社と深い関わりがあるとのことです。
もう少し進んで、大伴皇女忍坂墓。
今日は実になだらかな上り坂が多くよく歩きました。
この辺りも少し上ります。
最後に忍阪の古墳公園に立ち寄りました。
この辺りの住宅地が開発された際、多くの古墳が発見され、こちらに移築となりました。
柵はありますが、間近に見ることができます。
写真ではわかりにくいですが、8号墳の榛原石の板石を積んだ「磚積石室」は平面が六角形ということで9号墳共に必見です。
さまざまな古墳を見学して、桜井忍阪をあとにしました。
桜井。いろんな表情を持っていますね。
人里離れた山の中にひっそりと佇む古墳。
また、今日まで人々によって大切に守られ、受け継がれてきた仏さま。
わたしは、しばらく桜井に通うことになりそうです。